うお座
人間の野生化
神聖喜劇
今週のうお座は、『妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る』(中村草田男)という句のごとし。あるいは、赤裸々であることを厭わず、みっともなくも前進していくような星回り。
なんだか必死さが伝わってくる一句であり、実際にこんな姿を見かけたら、たとえそれが旧知の知り合いであったとしても(知り合いだからこそ?!)絶対に声をかけたりしないよう、それこそ必死で自分を律するだろう。
「妻抱かな」というのが、いったいどんな強制力に突き動かされての思いなのか。詳しいことはなにも分からないが、砂利を踏む音さえもどこか緊迫感がただよっていて、昭和のドリフのコントのようにさえ思われてくる。
しかし、大学を休学してぐずぐずしていた頃、親戚の一人から「お前は腐った男だ」と痛罵されたことから、「腐った男」のもじりとして「草田男」とみずから名乗るようになった作者の表現者としての出自や、自分たち夫婦のことをどこか本気でアダムとイブのごとき神聖なものとして捉えていた節のある点などを慮れば、英語にしてしまえば「I must make love」で済んでしまいそうな掲句が、聖書に登場する名場面のようにさえ思えてくるはず。
4月9日にうお座から数えて「等身大の自分」を意味する2番目のおひつじ座で新月(皆既日食)を迎えていく今週のあなたもまた、極私的で赤裸々なみずからの日常こそが、自己神話のピースとなっていくのだと言い聞かせていくべし。
海辺でひとり演説の訓練にはげむ少年
ここで思い出されるのは、アテネの大雄弁家と称されたデモステネスは、子どもの頃、言葉をどもる癖があってどうしてもなめらかにしゃべることができなかったというエピソード。
それでも、偉大な政治家になろうと決心したデモステネス少年は、海辺に行って口に小石を含むことで、波の音と口の中の異物というどもり以上の障害をあえて自分に与え、大声で演説の練習を行うことで、はっきりと人に話の内容を伝えられるように訓練していったのだとか。
傍から見ればまったくもって不審人物ですが、もし波の音がザアーザアーと聞こえてくる浜辺を、ブツブツどころではない大声で、何やら口元をもごもごさせながら演説しつつ早足で歩いていく少年が目の前にいたら、どうしたって嫌いにはなれないでしょう。
彼はもともと身体が弱く、子どもの頃に「柔弱な笛吹き」を意味する「バータロス」というあだ名で呼ばれていたそうですが、それももしかしたら先の訓練のせいかも知れません(当時のアッティカでは肛門のことも「バータロス」と呼んだ。現在の英語だと「アスホール」であり、スラングとしては「嫌な野郎」という意味でもよく使われる)。
今週のうお座もまた、他人の視線や世間からの評価に飼いならされ過ぎている自分自身を、どこかで野生化していくことがテーマとなっていきそうです。
うお座の今週のキーワード
ロールモデルとしての腐った男とアスホール