うお座
リズムにのっていく
移りゆく空間とその気配
今週のうお座は、『薄氷(うすらい)を掃き出してある日向かな』(藤松遊子)という句のごとし。あるいは、天のさりげないはからいに身をゆだねていこうとするような星回り。
「掃き出してある」というのだから、近くにみずたまりでもあるのでしょう。夜のうちの冷え込みで氷が張ったけれど、それを割って日向のところまでホウキで掃いて集めておいたという訳です。
「薄氷」は春の季語であり、まだまだ冷え込みは厳しいとは言え、朝や日中に差し込んでくる陽光は季節をまたぐと、少しずつ強まっていきます。そして、それに応じるように、冬のあいだの体のこわばりも溶かされていく。掲句はそんなプロセスを、まるで掃き掃除のように、丁寧かつさりげない手さばきで描き出しています。
きっと、ここで「掃き出し」作業をした人は、日頃からこまやかに自身の空間を手入れしているのでしょう。もともとみずたまりのあった日陰とはすこし距離のある場所にまで「薄氷」を集めていたり、それが日向になる場所でちゃんと時間がくればすべて溶けてしまうことを分かってそうしているあたりに、そんな“気配”のようなものが感じ取れるはず。
日陰と日向、薄氷と陽光、冬と春―。ここでは、それらの対比と移行とを丁寧に行っていくことで訪れる物事のごく自然ななりゆきが綴られているのだとも言えます。
同様に、2月14日にうお座から数えて「潜在的領域」を意味する12番目のみずがめ座で火星と冥王星とが重なって「賦活」が強調されていく今週のあなたもまた、派手さこそないものの、長年にわたり凍てついてきた領域が着実に自分の中で溶け始めていることを実感していくことができるはず。
生命の流れのままに
ベンガルの誇る大詩人であり、1913年にアジア人で初めてノーベル賞を受賞(文学賞)を受賞したラビンドラナート・タゴールには、サンスクリット語で「生の実現」ないし「霊的な修行」を意味する『サーダナ~生の悟り~』という著作があり、そこでは彼の大らかでありながら繊細な生命観が語られ、現代において「生命」というものを考える上でも実に示唆に富んでいます。
例えば、「われわれは至るところで生と死との戯れ―古いものを新しいものに変える働き―を見ている」という言葉には、老いや病いといったものは生命に付き従う影に過ぎず、われわれの生命は川の流れのように、無限なる海に開かれ続けているのだという彼の肉声が今にも聞こえてきそうです。ただし、今週のうお座の人たちへ特に贈りたいのは、次のような一節。
生命が詩と同じように、たえずリズムを持つのは、厳格な規則によって沈黙させられるためではなく、自己の調和の内面的な自由をたえず表現するためである
自分のなかの不調和な不自由ではなく、調和な自由を表現するためにこそ、私たちは日々、会社で働いたり、掃除や家事をしたり、ペットや植物の世話をしたり、夜寝る前に日記をつけたりするのかも知れません。今週のうお座は、それらひとつひとつの日課の手応えを確かめながら、自身の中の生命の流れやそれらがスムーズに流れていく気配を感じていきたいところです。
うお座の今週のキーワード
掃除もまた生死の戯れ