うお座
「ふと」と「やっぱり」のはざま
旅立ちの音
今週のうお座は、寝起きの意識のはざまで微かに響く音のごとし。あるいは、密かな葛藤や、既存の現実への違和感が無視できないほどに強まっていきやすい星回り。
ある朝目が覚めて、ふと耳を澄ませると、何処か遠くから太鼓の音が聞こえてきた。ずっと遠くの場所から、ずっと遠くの時間から、その太鼓の音は響いてきた。とても微かに。そしてその音を聞いているうちに、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。(『遠い太鼓』)
こう書いた村上春樹は実際に40歳を前に日本を出て、3年間の海外生活へと踏み切り、その中で大ヒット作『ノルウェイの森』を書き上げ、作家として大きな転換を遂げていきました。
おそらく、ここに書かれた「太鼓の音」とは物理的な「音」というより、今いる自分とは別のレイヤーの現実からの誘いであり、あるいは自身の内部からむくむくと湧いてきた未知への衝動が「音」へと置き換わって経験されたものと考えられます。
それをただのノイズととって受け流してしまうか、これまでとは決定的に異なるの秩序への密かな共感なのだと気付くかは個人差と言うしかありませんが、村上の場合は、たまたま後者だったということなのではないでしょうか。
1月26日にうお座から数えて「通過儀礼」を意味する6番目のしし座で満月を迎えていく今週のあなたにとって、今回の満月は自分が心の底で何に共感しているのかが、改めて浮き彫りになっていくはず。そんなときは、いったん立ち止まってよく耳を澄ませてみるといいでしょう。
『破戒』の主人公・瀬川丑松
1906年に発表されたこの小説の主人公は、信州の被差別部落に生を受け、学業において優秀だったものの父親の方針で高等師範学校には進学せず、高等小学校(10~14歳の生徒が修学)で教鞭を執っていた青年でしたが、他ならぬ父親からの厳命でみずからの出自を隠しながら生きていました。
彼は師の殉死など、さまざまな事件を体験していくことで、ついに戒律を破って勤務先の教室で、生徒たちを前に自分の出自を懺悔告白します。
どうして彼が土下座までして謝罪しなければならなかったのか、という点についてこれまで多くの議論がなされてきましたが、ポイントとなるのは、告白のあと、主人公がとたんに気勢を失い、ただテキサスに向かうことだけが暗示されている点です。
つまり、主人公の出自を「隠す」という身振りそのものが、テクストだけでなく主人公の内面世界をも形づくってきたのであり、告白を機にそれが霧消してしまったのです。もはや隠すべきものがないという事実は、もうその世界で語るべきものはないということとイコールであり、そうしてやっと主人公は前に進むことができた訳です。
同様に、今週のうお座もまた、そうして次なる歩み出しのための心の準備に邁進していくことになるでしょう。
うお座の今週のキーワード
語るべきことを失うことで初めて次のステージへ移行する準備は整う