うお座
あべこべになっていく
不思議にも手錠でつながれて
今週のうお座は、『真夜中の子供たち』の主人公と作者の関係のごとし。あるいは、自分が創り出したものによって逆に形づくられ、何かに寄与したことによってその何かの一部となっていくような星回り。
この世に生きるものは誰であれ、自身の母親の子であると同時に“時代の子”でもありますが、その誕生の瞬間がいったいいつだったのか、またいつになるのかは誰にも分かりません。
もちろん、偶然というものが存在しないとすれば話は違ってきます。例えば、『真夜中の子供たち』という小説の主人公であり語り手でもあるサリーム・シナイは、インドがイギリスから独立を勝ち取りパキスタンと別の国家として分離独立した日の午前0時ちょうどに生まれましたが、彼はまさに生まれた瞬間に時代の子となり、さらに国家の子となり、彼の前半生は若い国家インドそのものの歩みと軌を一にしました。それはサリーム本人によって、次のように語られます。
何しろもの静かに合掌する時計のオカルト的な力によって、私は不思議にも手錠でつながれ、私の運命は祖国の運命にしっかりと結びつけられてしまったのだ。
ところで、この小説は書き手であるサルマン・ラシュディの自伝的な要素の多い作品ですが、ラシュディ自身は主人公シナイのような他人の思考を受信することができるテレパシー能力は持っておらず、代わりに想像力を駆使してこの物語を作品として書き上げていきました。
その意味で、ラシュディはシナイの創造主であると同時に、シナイはラシュディの協力者ないし伴走者として、彼の人生に力を貸しているのだとも言えます。
自身を国や時代や運命の子にしていくべきか否か、またそのためにはどんな選択をして、何を背負い、何を捨てていかねばならないのか─。1月11日にうお座から数えて「見えないネットワーク」を意味する11番目のやぎ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、ちょうど小説内のシナイのように半生を振り返りながら、そんなこと考えてみるといいかも知れません。
嘘から出たまこと
かつて寺山修司はこんな詩を書いていました。
肖像画に/まちがって髭(ひげ)を描いてしまったので
ほんとに/髭を生やすことにした
門番を/まちがって雇ってしまったので
ほんとに/門を作ることにした
月夜に/まちがって影が二つできてしまったので
ほんとに/お月さまを二つ出すことにした
(『わたしのイソップ』)
そう、私たちはしばしば手順を間違える、というか現実のルールをひょいと飛び越えてしまうことがある。答えを先に書いてから、あわてて計算式を連ねていって辻褄を合わせるといったことはそう珍しくないのです。
なぜそんなことが起きるのかと言えば、私たち人間が本当は現実を超えた存在であるから。現実というのはみなで申し合わせてでっち上げたフィクションに他ならない。
今週のうお座は、何かとそうした“あるべき現実”のルールを無視してしまいがちなだけに、口からついてでた嘘が後で本当になる、といったことも起きてくるかも知れません。
うお座の今週のキーワード
たまにはあえて順番を間違えてみる