うお座
想像を開く
究極の理想
今週のうお座は、『人既に落ちて滝鳴る紅葉かな』(飯田蛇笏)という句のごとし。あるいは、生々しい幻想に憑りつかれていくような星回り。
夢幻的とも小説的とも言えるような一句。人が華厳の滝のような滝へ飛び込んだあとで、姿かたちはいっさい見当たらず、ただごうごうと滝がなっている。さらに、そのあたりには紅葉が赤く彩っているのだという。
どうもここまでくると、実景を詠んだものとは思えない。おそらくは、空想をめぐらせて描いた句なのでしょうけれど、にも関わらずそういうことがこれまでにもあっただろうし、これからもそうした光景が繰り返されるだろうという、妙な現実味のようなものが感じられます。
ある種の人類の終末的なビジョンや、ひとりの人間の最後としても、何ら不自然ではないことからも、人の姿や声や音が自然に呑み込まれ、圧倒されて消えていくことというのは、人間の快楽原則にのっとった、究極の理想であり、切なる願いの一つなのではないでしょうか。
少なくとも、大都会の喧噪や人混みに飽き飽きしたり、心底嫌気がさしたことがある人ならばその気持ちはよく分かるはず。
11月8日にうお座から数えて「神殿」を意味する9番目の星座であるさそり座後半に太陽が入って立冬を迎えていく今週のあなたもまた、改めて自身の究極の願いというものが、いかなる輪郭や色彩を伴っているものなのか、想像してみるといいかも知れません。
幻想こそ真実
フロイトは晩年期に書かれた『幻想の未来/文化への不満』において、「宗教的な観念とは、経験の集積や思考の最終結果ではなく、幻想であり、人類の抱いているもっとも古く、もっとも強く、もっとも差し迫った願望の現実だ」と述べており、ひとびとがさまざまな場面で他者へ投影したり夢のなかで具現化していく幻想は誤謬(ごびゅう)などではなく、むしろ切実な願いを芯に含んでいる大切なものであるとの考えを強調しています。
つまり、ここでは「宗教」の本質が、人間の無力さや罪深さをめぐる感情の中にではなく、そうした感情から救われようとする人々の願いにこそあるものと考えられている訳です。
そういう意味では「自分は現実的な人間だ」と考え、夢や幻想の意味や価値を否定する人ほど、フロイトの立場からすれば自己欺瞞的なのだと言えるかも知れません。
今週のうお座もまた、自分が切実に願っているものは何なのかということに、少なからず光が当たっていくことになるはずです。
うお座の今週のキーワード
幻想の未来