うお座
謎と発酵
最大の謎としての悪の問題
今週のうお座は、「悪」の概念に奥行きと広がりをもたらした王仁三郎のごとし。あるいは、世間一般の善悪を突き抜けたところに自分を置いていこうとするような星回り。
今ほど悪の避けがたさや、悪の複雑性、ないし善悪の不分明さをきちんと考慮に入れた「悪」の思想を先人からくみ上げていく必要のある時代はそうないように思いますが、その参照先として、例えば、大正と昭和の二度にわたって国家弾圧をうけた大本教の教祖であった出口王仁三郎(おにさぶろう)などはピッタリのように思えます。
王仁三郎は、教祖・出口なおの娘婿であり、なおの峻厳な善悪二元論を引き継ぎながらも、悪の概念に独自の奥行きと広がりをもたらすことで、教義を再構築させていったのですが、その初期の著作である『裏の神諭』を見ると、王仁三郎が本来の善悪とは表面的な次元では見抜きにくい次元にこそあり、欺きや自己欺瞞(ぎまん)によって隠されがちなものとして考えていたことが分かります。
世の中には化け物が沢山をるので、表面(うわつら)はおとなしい虫も殺さんような顔してをる者が、かえって極悪人で人を殺したり盗人をしたり、いたづらをする世の中である。表面は鬼のような顔して、憎まれ口を言ふ者の心はかえって水晶で、案外正しい人は見かけによらん者と言ふ譬へのままである。それに気が付かずに、今の人民は追従して面前で優しい顔して甘い事を言ふて、媚びへつらふ悪魔は十人好きがする。
王仁三郎が偽善をここまで激しく批判したのは、おそらくみずからもまた避けられない罪の堆積のしたで苦しんできた経験から、みずからが陥る/陥ったかも知れない悪に対する無自覚が特に許しがたく感じられたからでしょう。
5月6日にうお座から数えて「思索の深み」を意味する9番目のさそり座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、どうしたって「悪」ということと無関係ではいられない自身の身の上を受け入れていくべし。
時熟する
若い頃というのは経験の厚みがまだありませんから、考えごとをするのでも思索というより思考に近いと言えるかも知れません。
その意味で「思索」というものはだんだんと「自分が思った通りの人生」ではなくなってきてから初めて深まってくるもので、そうなってくると「人生について思索する」のではなくて、人生それ自体が自然と思索になっていることにハッと気が付いていくように感じられてきます。
哲学者のハイデガーはそれを「時熟(じじゅく)」と呼びました。時間であるところの人生が、おのずと熟し、自分が存在しているということをめぐる謎の味わいが発酵してきて、得も言われぬ奥深い味がしてくる。
人間の魂というのは、どうしてもそういうものに惹かれてしまう。わかっちゃいるけど、やめられない。そういう意味で、やはり自分の過去というのは人間にとって最高のコンテンツなのです。今週のうお座もまた、そんなことをぜひとも頭の隅に置いて過ごしていきたいところ。
うお座の今週のキーワード
人生それ自体が自然と思索になっていることにハッと気が付く