うお座
熱と光とエロス
友情という言葉ではすこし足りない
今週のうお座は、援助職に不可欠なもののごとし。あるいは、「エロス的関係」をきちんと欲していくような星回り。
分析心理学の専門家として名高いグーゲンヴィル―クレイグの『心理療法の光と影―援助専門家の“力”』という本では、援助する側である「精神療法家の混乱を和らげてくれたり、あるいはすっかり解決してくれたりすることのできる」ものは「なによりもまず友情である」という指摘があります。
これはごくありふれた意見のように見えますし、実際多くの分析家たちにもその真の価値が見過ごされているのだそうですが、グーゲンヴィル―クレイグは「分析家に必要なものは対等の関係なのであり、彼に太刀打ちできるパートナーたちとの関係なのである。友人というのは、分析家をあえて攻撃もするものだし、分析家の笑止千万なところも有能なところも指摘するというようなことも、あえてしてくれるものなのである」と述べた上で、次のように続けています。
友人も持たないで分析活動をしていて、硬ばった態度にも陥らず、世の中からも閉じこもらないでいることができるためには、分析家は心理学的に、特別大きな天賦の才能を持っていなくてはならない。しかしながら、多分友情という言葉は何かしら少し狭すぎるかも知れないので、あるいは次のように言うのがよいかも知れない。つまり、分析家は分析の仕事以外にもエロス的な関係を必要としているのだと。
4月6日にうお座から数えて「信用」を意味する8番目のてんびん座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、ときに相手からの挑戦を受けることがあるような、いきいきとしたエロス的な関係ということがテーマとなっていくでしょう。
抵抗する網目としての「私」
キルケゴールは「自己とは、関係が、関係において、関係に関係することである」というテーゼを打ち出しましたが、宮沢賢治もまたよく知られた詩の一節である「わたくしといふ現象は、……因果交流電燈の、ひとつの青い照明です」において、因果という「関係」の総体から「私」が現れてくるという似たようなビジョンを描いてみせました。
賢治のいう「因果」は、どこか今日的な電脳メディアや仮想現実空間のいたるところに張り巡らされた電気回路をも想起させますが、「私」はそこに現れる「電燈」なのですから、「私」はその電気回路のうちの、フィラメントなどによって「抵抗」の高まった場所であるということになります。
「私」はそうしたメディアの網の目のなかで、情報が「私」を素っ気なく通りすぎていくのを阻止しようとして抵抗を与え、それによって「私」は熱と光を発し、そういうものとしてのみ自分自身を認識し、また認知されていく。その意味で、先の「エロス的関係」というのも、抵抗しあい、問いかけあい、互いの言動を簡単には受け流さずにいることで輝きを強めていけるような関係性のことなのだとも言えるのではないでしょうか。
今週のうお座もまた、互いに溶け合うのではなく、精いっぱいの「抵抗」を許しあえるような関係を目指していくことがテーマとなっていきそうです。
うお座の今週のキーワード
友情は誤解からはじまる