うお座
どこへ飛んでいきし魂か
暮らしのその先
今週のうお座は、『春のホテル夜間飛行に唇(くち)離る』(西東三鬼)という句のごとし。あるいは、自身の今後の活動の方向性を占っていくような星回り。
今から84年前の昭和19年、鎌倉での作。生あたたかい夜の芝生の上で、2つの離れた影があった。そのとき頭上には、翼端にランプの灯った飛行機がとおった。それだけのことを直截(ちょくせつ)に詠んだ句なのですが、不思議なほど浮遊感がただよっています。
「唇離る」というのは、そうであったのではないかという作者の想像でしょう。しかし、こうした決定的な想像を誘う場景というのは、日常生活においてそう簡単に見つかるものではありません。
特に冬の寒さと乾燥で凝り固まったままの頭と感性のままでは、たとえ同じ光景の前を通ったとしても決して掲句のように想像を遊ばせることもできなかったはず。
春の潤んだ空気にほどよく肌をなじませ、実際に宵闇のなかを歩きまわるだけの心の遊びがあったればこそ、こうした句は生まれえた。その意味で、俳句とは生活芸術なのであり、作者のこれまでの生き様の延長線上になにかが落着したときにふっと生まれてくるものなのかも知れません。
7日にうお座から数えて「行き着く先」を意味する7番目のおとめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、ここ半年間の自身の暮らしぶりや感性の使い方を振り返っていく中で、掲句のように何かしらの想像が自然と浮かびあがってくるはず。
羽ばたきか骨休めか
後ろを振り返っているあいだは、憂鬱で臆病だが、
自己を信じるところでは、未来もまた信じられる。
鳥よ、お前は鷲のたぐいなのか?
それともミネルヴァの寵児のふくろうなのか?
『喜ばしき知恵』の中でニーチェがこのような断章を書き付けたとき、果たして彼の脳裏にはどんな像が浮かんでいたのでしょうか。
シンボリズムの世界では鳥は「霊」すなわち神仏の使いの象徴であり、ニーチェはまだ冬の気配の只中に留まりながらも、にぶい鉄のような氷の膜を破って、熔かしていく春の予感に確かに打たれていたのかも知れません。
今週のうお座もまた、ニーチェのように見たものを審神者(さにわ)するだけの注意深さと判断力とを、何かしらの力を借りて発揮していくべし。
うお座の今週のキーワード
魂に想像力という翼をさずける