うお座
抒情と悲傷
待つ身の心情
今週のうお座は、『似しひとに心さわぎぬ秋深し』(長谷川ふみ子)という句のごとし。あるいは、ますます人の琴線に触れていきやすい存在となっていくような星回り。
作者は俳人の長谷川素逝の妻で、自身も俳人として世に知られることになった人。街角で、駅の雑踏で、ちらっと見かけた人の姿がどこか夫に似ていたのでしょう。
遠く戦争に行ってしまった夫を待つ身である作者にとしては、夫がこんなタイミングで帰ってくるわけがないと頭では分かっていながらも、それでは気持ちのおさまりがつかず、どうしたって揺らいでしまう。そうしているうちに、秋はますます深くなり、深まった秋は身に沁みて遠き人を思わせるのです。
現代の人は、とかく甘く感傷的なものを小ばかにし、ものごとが簡潔に表された平明さには飽き足らず、たえず新しいもの、特殊なものをなかりを求めたり、狙ったりしがちな傾向がありますが、俳句でもあんがい大家と呼ばれるような人ほど平明単純に徹していたり、通俗的な甘さもたぶんに持っている場合があるものではないでしょうか。
その意味で、9月23日にうお座から数えて「深さ」を意味する8番目のてんびん座に太陽が入座する(秋分)今週のあなたもまた、浅く出るところの平明の深さを愛することを覚えてみるといいでしょう。
古代日本と現代日本の対比
目に見える戦争は起こらずとも、現在先進国では唯一、若年層の死因の第1位が自死となっている日本では、生を最後までまっとうすることなくこの世を去っていく若者たちのニュースはもはや珍しくありません。しかし、万葉集を見るとじつは古代日本においても、異常死者に対する哀悼を歌った「挽歌(ばんか)」が異常に多かったことに気が付きます。
刑死や変死、自殺、路上で病気や飢え、疲労などで倒れての突然死や事故死―。改めて異常死の問題が時代を超え、地域を超えて我が国で発生し続けてきたということを思い知らされる一方で、現代ではそうした事態に対する不安と恐れの感覚が乾ききったまま散り散りに断片化しており、古代社会のように儀礼として挽歌を制作し、彼らを鎮魂せんとする情熱が明らかに後退してしまったのではないでしょうか。
特に、万葉集では恋人やつれあい同士で詠まれた「相聞歌(そうもんか)」がしばしば挽歌において極まるということがしばしばあり、ひとり悲しむ追悼の場面において、胸乳(むなぢ)を突き破るような抒情が悲傷へと収斂していく精神の在り様を紡いでいくことこそが、彼らにとって最大の慰霊に他なりませんでした。
ひるがえって、今のあなたには、そうした悲傷の心情や喪失感を抱きうる対象はあるでしょうか。あるいは、あなた自身がそうした対象となってしまう可能性はあるでしょうか。今週のうお座は、そんな思案を巡らせていくにもちょうどいい頃合いのように思います。
うお座の今週のキーワード
アートの根源としての慰霊と鎮魂