うお座
ずずん、ビビんと揺らぐ
鬼太郎の妖怪アンテナ
今週のうお座は、『立ち歩く逢魔が時の一葉かな』(中川欣一)という句のごとし。あるいは、妖気のただよう縁や交わりにすすんで近づいていくような星回り。
この場合の「一葉」とは、秋の訪れを知らせる初秋の季語である「桐一葉」のこと。地面に落ちて静かに横たわっている。しかし、どうも様子がおかしい。静けさのなかに怪しい妖気が含まれていることを感じるや、「一葉」は風もないのに不意に柄を立て、つつつつと動いて、まるで魂が宿ったように歩いてゆく。
そしてそれはたとえまだ明るい世界の内であろうとも、不意に不気味な静寂のやってくる「逢魔が時」に他ならない。明るいのに暗い感じのする、鬼気迫った怪しさがこめられた一句ですが、描かれたシチュエーションの理解としては『ゲゲゲの鬼太郎』で鬼太郎が妖怪アンテナを立てたときに置き換えてもいいでしょう。
水木しげる然り、うお座の人たち自身どこか得体の知れない妖怪めいたところがあるのですが、あやかしは別のあやかしを引き寄せる性質を持っているのかも知れません。
27日にうお座から数えて「出会い」を意味する7番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、何かの拍子でそうした関係性やつながりこそがみずからの実体なのだという感じが強まっていきやすいでしょう。
「明るい汀(みぎわ)」
この言葉は三島由紀夫の『美しい星』という小説に登場するもの。話は埼玉県飯能市に住む大杉家の家族4人がそれぞれ円盤を見て、自分が別の星からやってきた宇宙人であるという意識に目覚めるところから始まります。
そうして日本の家父長的文化から距離を置きつつ、人間の肉体をもつがゆえにどうしても矛盾や危うさを持ってしまう「異星人」の視点から、地球を救うための様々な努力が重ねられていくのですが、その結末では一家の父親である重一郎が癌で危篤に陥ります。間もなく死を迎えんとする中で、「宇宙人の鳥瞰的な目」をもつ不死性を象徴する存在であった重一郎が、突如として「死」を意識するようになり、こう述べるのです。
生きてゆく人間たちの、はかない、しかし輝かしい肉を夢みた。一寸傷ついただけで血を流すくせに、太陽を写す鏡面ともなるつややかな肉。あの肉の外側へ一ミリでも出ることができないのが人間の宿命だった。しかし同時に、人間はその肉体の縁を、広大な宇宙空間の海と、等しく広大な内面の陸との、傷つきやすく揺れやすい「明るい汀」にしたのだ。
その意味では、先の句にあったような桐一葉が不意に立ち歩く「逢魔が時」というのは、「明るい汀」ならぬ「暗い汀」として表裏の関係にあるのかも知れません。同様に、今週のうお座もまた、必滅と不死のはざまで、そうした決定的な揺らぎにさらされていくことになるでしょう。
うお座の今週のキーワード
「異星人」の視点から