うお座
立体的邂逅
もしフラットランドの住人ならば
今週のうお座は、3次元の球体に直面した2次元生物のごとし。あるいは、誰かと協力しあうことで、自身の過信や思い込みを可能な限り捨てていこうとするような星回り。
自分には知性があり、それなりの知識を有していると自覚している人であればあるほど、「ありえないこと」に直面したときに、従来の自分のものの見方を放棄して、ゼロからその「ありえないこと」に即した見方を構築することはほとんど不可能となっていく訳ですが、それでもそうした事態を想定するために、2次元世界に生きている2次元生物を想像してみたい。
すべてが平面に描かれた点や線や図形で構成される2次元生物の世界に、突如として3次元の球体が侵入してきたとする。これを、2次元世界すなわちフラットランドの住人はどのように捉えるだろうか。
彼らにとって唯一の世界である平面空間に、どこからともなく1つの点が出現し、それはまたたくまに小さな円に変貌し、その大きさをどんどん広げていく。かと思えば、今度はみるみるまに円を縮小させていき、ついには点となりフッと消えてしまった。
2次元生物は彼らの知識や知見を総動員するはずだが、立体なるものは2次元では「ありえないこと」であり、おそらくその実在は否定されるだろう。ところが、実際には立体は実在し、2次元世界を通過していきながら、そこに自分の断面の軌跡を残すことができる。可能性があるとすれば、それらの軌跡をどれか一つだけ取りあげて結論づけるのではなく、できるだけなめらかなアニメーションとなるまで動きの中で自然につなげることができた場合に限られるだろう。しかしそれは、個人ひとりの力だけではまず難しいはず。
同様に、7月20日にうお座から数えて「個人的実感」を意味する2番目のおひつじ座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、そんなフラットランドの住人になったつもりで、自分がここのところ直面している状況の把握に努めてみるべし。
生きがいと絶景感覚
俳人の永田耕衣は昭和30年ごろに出した句集『吸毛集』のあとがきで「出会いは絶景である」と書きましたが、昭和が終わる年のインタビューで次のようにも語っていました。
出会いは絶景だと言ったって、誰と会っても絶景だとは言えない。だけど、今日あんたと会うたのは絶景かも知れん。そういう出会いによって人間は個別に、自己の環境を広げていって、その環境を広げるだけじゃなくって深めていって、その人の影響というかな、仏教でいう「善縁」というものを得る。つまり、そういう感覚が絶景感覚よね。
これは「存在のありがたさの感得」とも言い換えられるでしょう。自分の力だけではとても生きていくことはできないという実感と、ただ生きているだけではなくて、何かそこに手応えのある感じが重なって、立体的なものに突き当たっていく。それを人は「生きがい」と言うのかも知れません。
永田は石川五右衛門の「ああ絶景かな、ああ絶景かな」というセリフも同じことだろうと言っていますが、今週のうお座もまた、そうした立体的なものとの突き当たりとしての絶景感覚をどれだけ鋭敏に働かせていけるかが問われていくでしょう。
うお座の今週のキーワード
善縁を得る