うお座
ゆるゆるボンバー
重力に反して
今週のうお座は、『夏服をゆるゆると着て体育かな』(野口る理)という句のごとし。あるいは、快適であることに真剣に取り組んでいくような星回り。
すでに衣更えも終わった仲夏ながらも、じめじめしとしととした気候の続く6月後半は、タイトに肌をしめつける服や、あまりに堅苦しい格好をしていると、あっという間に不快指数で脳みそどころか体中がショート寸前に追い込まれ、使いものにならなくなるもの。
ただでさえ祝日がなく、他の月以上に余裕がなくなりがちな月ですから、折り返しに入る今週あたりで、願わくば掲句くらいの「ゆるさ」を意識して過ごしていきたいところ。
これをしろ、あれを守れという上からの声にあまりに従順になる必要もなければ、逆に、血相を変えて抗議したり、興奮して暴れまわるのでもなく、四角四面なリアリティを自分なりに「ゆるゆると着て」臨んでいけばいいのです。
往年の腰パンやルーズソックスもなんのその、男だってワンピースを着ればいいし、ジャージを正装にしたっていい。生きづらい生を生きやすくする上で、「それをやっちゃ、お終いよ」なんてラインにまで達することは、想像以上に難しいことなのですから。
14日にうお座から数えて「公的態度」を意味する10番目のいて座で満月を迎えていく今週のあなたも、また一つ「ゆるさ」のタガを外していくべし。
少しずつおのれを自由にしていく
例えば、現代では「自由」と言えば、「小さな政府と市場の自由」を掲げる新自由主義のように、拡大する格差の中での残酷な自己責任論やその表裏としての強烈な上昇志向という文脈や、大半はその不可能性において使われることがほとんどなのではないでしょうか。
その点、17世紀の哲学者スピノザはそれとは異なる観点から「自由」ということを考えており、例えば主著『エチカ』の冒頭で次のように述べています。
自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であると言われる。これに反してある一定の様式において存在し・作用するように他から決定されるものは必然的である、あるいはむしろ強制されると言われる。
ふつう必然なら自由ではないですし、必然と対立する状態こそが自由とされていますが、ここで言われている「必然性」を「その人に与えられた身体や精神の条件」に置き換えると幾らか分かりやすいでしょう(國分功一郎、『はじめてのスピノザ』)。
つまり、スピノザは人は自分に与えられた(身体的・精神的)条件をあらかじめ分かっている訳ではなく、さまざまな”実験”を繰り返しながら学んでいくことで、少しずつ自由になっていく、すなわち「ゆるゆる」としていけるのだと考えたのです。
その意味で今週のうお座もまた、まずはみずからの本質が踏みにじられている状態(「強制」)から脱していくことを最優先にして動いていきたいところです。
うお座の今週のキーワード
脱・新自由主義