うお座
一緒にうずうず
春の夜の感じ
今週のうお座は、「いづこよりか来たるいのちと春夜ねむる」(細見綾子)という句のごとし。あるいは、自分を大きく包み込んでくれるものにグッと身を預けていこうとするような星回り。
水蒸気を含んでうるおい、完全な真の闇ではなく、ほのかな光彩がヴェールのようにあたり一帯を包んでいるように見える「春夜(しゅんや)/春の夜」ですが、掲句はそうしたこの季節特有の“感じ”を五七五の十七音に収まらない絶妙な破調で表現してみせています。
誰もが寝静まる夜更けになっても新たな生命が一斉に萌えいずる自然界の胎動と無意識に連動しているのか、どこかうずうずとした気持ちがおさまらない感覚が、冒頭の「いずこよりか」という六音の字余りによって的確に捉えられ、それが単に眠ればすべてがおさまる訳ではなく、夢のなかでも、そして翌朝目が覚めたあとにも尾を引いていくだろう予感が、再び「春夜ねむる」という六音の字余りと響きあっては、読者を浮き足立たせていく。
こうした稀有な秀句というのは、素人が真似して作ろうとしてもまず作れないものですが、それは掲句がどこか五感や意識をぼんやりと和らげるような作用をもたらすということとも大いに関係しているように思います。
同様に、3月10日にうお座から数えて「心理的一体感」を意味する4番目のふたご座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、鋭く屹立した「個」としての緊張をどれだけ柔らかに解消していけるかが問われていくでしょう。
ゆらゆらして待つこと
美しいと汚いは、別々にあるんじゃあない。
美しいものは、 汚いものがあるから 美しいと呼ばれるんだ。
善悪だってそうさ 善は、 悪があるから、 善と呼ばれるんだ。
悪のおかげで 善があるってわけさ。
同じように、 ものが「在る」のも、 「無い」があるからこそありうるんでね。
お互いに 片一方だけじゃあ、在りえないんだ。
(中略)
だから 道の働きにつながる人は 知ったかぶって手軽くきめつけたりしない。
ものの中にある自然のリズムに任せて 手出しをしない。
すべてのものは生まれでて 千変万化して動いてゆくんだからね。
(加島詳造、『タオ 老子』)
世間でふつうに生きていると、前向きに生きるとか、社会の役に立つかとか、正義のもとに善を成すといったことが、揺るぎなく肯定的に捉えられがちです。
ただ今週のうお座は、さながら掲句の作中主体が得体のしれない「いのち」と訳の分からぬまま共に眠ったように、そういう区別なんて本当はないのかもしれない、というところまでいったん降りていくことが大切になってくるはず。そうして、あくまで自分自身が待ち望んでいたものの訪れを、ごく自然な仕方で待っていくことがテーマなのだと言えます。
うお座の今週のキーワード
余計な手出しはしない