うお座
際限のない増殖
「書き方」の妙
今週のうお座は、レーモン・クノーの『文体練習』のごとし。あるいは、いたって“まともな”言語感覚をすっかり狂わせていくかのような星回り。
『文体練習』という作品は99の断章から成っており、それらの断章はみな同じ内容、同じ出来事を扱っています。出来事と言っても別にたいしたものではなく、ある日バスのなかで起こった些細なもめごとと、その張本人をあとで別の場所でたまたま見掛けたというだけのこと。
それぞれの断章で具体的な細部の描写に違いはあれど、事のあらましそのものは何ら変わりません。つまり、断章ごとに変化していくのは「書き方」の方であり、料理人がひとつの食材からさまざまな味の料理をつくってみせるように、ひとつの出来事を九十九通りの異なった書き方で展開してみせたのです。
もちろん、その「書き方」というのも内容を“的確に”表現するための文体でもなければ、情報を“過不足なく”伝達するための言葉でもありません。むしろ、際限なく増殖していくかのように見える“豊かな”言葉の群れは、その内容の乏しさとは反比例するかのように、口語体から文語体、物語、会話、手紙、電報、詩、戯曲、パロディ、ナンセンスなど、言語のもちうるあらゆる領域へと伸び広がっていきました。
同様に、17日にうお座から数えて「健全さを保つためのチューニング」を意味する6番目のしし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、普通の人なら一つの答えに収斂させてしまうことほど、うお座らしく無限にその答えをずらし続けてみるといいでしょう。
水の音はこだまする
例えば、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」というあまりにも有名な句を読むたびに、切断による連続の生成、宇宙的な特異点の発生、無執着な生存などといった、俳句と禅仏教に通底する思想的な主題が見事に語り尽くされているように感じます。
これぐらい見事に一句ですべてを言い切られ、出しきられてしまうと、あたりはすっかり静かに、すがすがしくなってしまう。二の句が継げなくなるのです。しかし、それでもしばらく経てば、やはりだんだんと声があがりはじめ、その声は自然とかつての古池の響きとどこかでつながっていく。
かように、ここで自分のすべてを出しきったと思うくらいの経験をしても、なんなく続いていってしまう一方で、やはりそこで何かが決定的に変わっていくのがこの世界、ないし生というものの特徴なのではないでしょうか。
今週のうお座もまた、そんな自らの生の切断と連続の両方を、確かな強度をもって感じとっていくことができるかも知れません。
うお座の今週のキーワード
古池の響きの無限なるエコー