うお座
売れるが負けよ
落葉の大木
今週のうお座は、「落葉して汝も臼になる木かな」(渡辺水巴)という句のごとし。あるいは、「ウザくならない凄さ」を目指していくような星回り。
ある大木が落葉して、葉の茂っている時でも大きく見えた幹がいよいよ大きく見えるようになった。その木を人間に見立てて話しかけ、お前もそのうち切られて臼にされるんだよ、と言ったというのが掲句の大意。
一見すると特にひっかかるところのない句ですが、ただ「落葉してかえって大きく見える」ということを人間に置き換えて考えてみると、なかなか奥が深い表現に思えてくる。「馬子にも衣装」といったように、普通はむしろありのままのその人を肩書きやファッション、仕草やふるまいなどで大きく見せがちなものですが、その逆の在り様ということが言われている訳です。
例えば、江戸時代中期に生きた木村蒹葭堂(けんかどう)は表向きは大阪の造り酒屋であり、歴史に名を刻むような偉業をなしたわけではありませんでしたが、あまたの学問や知識に精通した当代随一の知識人で蔵書家、骨董や書画、動植物標本のコレクターであり、文化人や高官を含むたくさんの人が日々彼のもとを訪れ、常時複数の相手と文通していた、個人としては最大の知のネットワーカーであり、一大文化サロンの主でした。こういう世に隠れた大人物というのは、いつの時代もいるところにはいるものですが、ネットの発達によってそうした存在を許さなくなってしまった現代社会は、ある意味で社会としての奥行きや豊かさを失ってしまったのかも知れません。
29日にうお座から数えて「自分なりの美学」を意味する6番目のしし座で下弦の月(離脱と解放)を迎えていく今週のあなたもまた、いきなりそうした大人物になるわけではないにせよ、その前提としての「落葉の大木」という在り方を参考にしてみるといいでしょう。
在り方としての「脱中心」
もう少し大きな規模の例としてはケルトがあげられるでしょう。彼らはキリスト教以前に中西部ヨーロッパに住み、ケルト語を話していた民族で、相当な文明を持っていたにも関わらず、文字をもたないことや強力な大国をつくる意図がなかったこともあって、キリスト教文明によってだんだんと消滅させられていきました。
ケルトの文化のあり方として非常に面白いなと思ったのは、中心というのかな、これがケルト文化のメッカである、中心だというのがないんですね。それは、なくて当然で、遍在しているのですから、中心があったら近代的になってしまう(鶴岡真弓、辻井喬『ケルトの風に吹かれて』)
ケルトは渦巻き模様をとても大事にしていたけれど、それは絶対的な中心を作って、それへの関係に基づいてすべてを明確に区別していくという西洋的なモデルとは対極にある、あらゆるものが互いに絡み合いつつ絶えず全体を変え続けていくという「脱中心的」な世界観こそが彼らの根本だったからでしょう。
同様に、今週のうお座のあなたもまた、そんな渦巻き模様のように自身を解体しつつ、ケルト的なものを取りこんでいく遊びに興じてみるといいかも知れません。
うお座の今週のキーワード
脱近代、脱中心、脱成功