うお座
膝をついてこそ
花にまみえる
今週のうお座は、「堅香子にまみえむ膝をつきにけり」(石田郷子)という句のごとし。あるいは、ごく自然に当たり前に人間中心主義的な観念を突き抜けていくような星回り。
「堅香子(かたかご)」は片栗の花のことで、旧正月頃に花をつけるため初百合という名もあり、花の色は紫、海外では「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」とも呼ばれます。
50年ほど生きる多年草であり、古くは『万葉集』に大伴家持の次のような歌が収められています。「もののふの八十(やそ)少女(をとめ)らが汲みまがふ寺井の上の堅香子の花」、大意は「大勢の少女たちが水を汲んで、賑やかに音や声を立てています。寺の井戸の上手に咲くのは堅香子の花」。
掲句もまた、堅香子を目当てに早春の野を歩いて、やっと見つけることができたのでしょう。「まみえむ(お目にかかる)」という謙譲語を使って、まるでやんごとない貴人にでも会ったかのような言い方ですが、目を丸くして堅香子の花に膝をつくその姿には、わざとらしさはどこにもありません。
むしろ、花に謙譲表現を使わないでいる方が不自然じゃないか、という作者の自然な心情が漏れ伝わってくるかのよう。それだけ、春を待ってやっと咲いた花への深い敬意と歓びがここに確かに生きているのです。
2月18日にうお座から数えて「発話」を意味する3番目のおうし座に位置する天王星(斬新)が土星(月並)と90度の角度をとって激しくぶつかりあっていく今週のあなたもまた、「月並を破る」ということを自分なりに追求していくことがテーマになっていくでしょう。
常識的であることと何事もないことは等しい
あなたは自分のことを、おろかな知恵者か、かしこい愚者か。そのどちらに近い存在だと思っていますか?
――子供の頃、独りで広場に遊んでいるときなどに、俺は不意と怯えた。森の境から……微かな地響きが起こってくる。或いは、不意に周囲から湧き起ってくる。それは、駆りたてるような気配なんだ。泣き喚きながら駆けだした俺は、しかし、なだめすかす母や家族の者に何事をも説明し得なかった。あっは、幼年期の俺は、如何ばかりか母を当惑させたことだろう!泣き喚いて母の膝に駄々をこねつづけたそのときの印象は、恐らく俺の生涯から拭い去られはしないんだ。(埴谷雄高『死霊』)
こうした、私が私であることへの「怯え」、あるいは自分が人間であることへの不快には、身に覚えがある人もいるでしょう。
その「戦慄」や、「うめき」こそが、どこで覚えた訳でもない、常識に曇らされず見ることのできる、ほんとうの現実なのかも知れません。そういうことが、今週はすこし分かるのではないかと思います。
今週のキーワード
聖なる愚者であれ