うお座
ヴェールを脱いだ現在
ただ蒼し
今週のうお座は、「冬空に聖痕もなし惟蒼し」(中村草田男)という句のごとし。すなわち、認めざるを得ない現実を受け入れていくことで目から鱗が落ちていくような星回り。
まえがきに「川端茅舎を偲ぶ」とありますが、作者は毎年繰り返し「まことに天才の名に値すると思う」と亡き友を偲んでは句を作っていたのだそうです。
この「聖痕」の句もその中のひとつで、聖痕とは十字架のキリストの釘を打たれた手のひらの痕(あと)の聖なるしるしのことで、キリストの死後に弟子となったパウロは「この身にイエスの焼き印を帯びている」と言ったそうですが、作者はどこかでそれを自分と亡き友との関係に重ねたのでしょう。
茅舎がかつてよく句に詠んだ青空は、限りなく澄んで地上を去った彼の跡形もありませんが、それは二度と彼のような存在は出てこないであろうことを暗に示しているのかも知れません。
「唯蒼し」という結びには、作者が感じていただろう宇宙的な孤独の広がりがあります。あるいは、現在の自己が突出して、ふいに過去と未来が永遠の輪として回帰するのを感じたのかも知れません。
22日にやぎ座から数えて「因縁の整理」を意味する12番目のみずがめ座の始まりで木星と土星の大会合が起きていく今のあなたもまた、これまでどこかでヴェールで覆い隠されるようにして見えていなかった自己の在り様をめぐる解像度をどこまであげていけるかどうかが試されていきそうです。
覚醒という呪いを引き受ける
自分の足でたつ。それは人類ないし個人の精神的進歩の象徴をする出来事であり姿勢であると同時に、かつて他の誰か何かにもたれあい、よりかかりあって生きていた頃の甘美な夢の喪失であり、特にうお座の人たちにとってそうした覚醒は、ある種の呪いに他ならないでしょう。
臨床心理学者の霜山徳爾は、それゆえに人は「直立のたえがたい孤独から救う」ものを常に求めているのだと述べていますが、こうした孤独感はじつは大地へ「直立」することへの拒否から生ずる「浮遊感」や「ふわふわ」とした夢見心地のなかで補償的に経験されているのだとも言えます。
例えば、大地から離れて風まかせに宙を飛び、流れにまかせて水中を漂うといった状況でさえ、そこには他の誰かに寄りかかったり、ささえあったりして自身の存在の乏しさを確かに分かち合っているときほどの充足感はとても感じられません。
ことほどさように、人間/自分という存在もまた、結局どこまでいってもやっぱり孤独なのだということを、今週のうお座は図らずも痛感していくことになるかも知れません。
今週のキーワード
目から鱗