うお座
おのれを丸で囲う
服の起源
今週のうお座は、腰にまわした一本の紐(ひも)のごとし。あるいは、自分が何か大切で尊い存在であるという実感を得るために必要なものを見定めていくような星回り。
書家・書道史家の石川九楊は、衣類のはじめは腰にまわした一本の紐だったという観点から、次のように述べています。
腰紐や帯、ベルトを結ぶことによって、自己の輪郭を定め、自己をここまでと規定するに至ったところに、紐衣=腰紐の起源はたどれる。その名残りが、日本の神社に残る注連をまわした巨木である。それは樹木に衣類を着せているのだ。腰紐=注連――それは自己と他者を区切ることであった(『失われた書を求めて』)
相撲の土俵などもそうですが、注連縄などの紐で囲まれたところには自然と神聖感が生じます。円で囲むことで、象徴的にその中を眼に見えなくさせる効果をもたらしている訳ですが、こうした象徴的行為が古代において頻繁に行われていたことは、祭祀に使った祭器などが人の目に触れないよう地中に埋められたことなどと同じ発想であり、ある程度納得がいくことでしょう。
とはいえ、人が衣服をまとうようになった理由もまた、そうしたある種の「結界観念」にあるというのは驚くべき指摘と言えます。これはすなわち、人の目から隠すことによって初めて物事は神聖さを得るのであり、それは自己にもそのまま適用できるということ。
逆に言えば、これが自分だ、とそのまま包み隠さずでんと置かれた自己というのは、自己未満の何かなのです。
10日にうお座から数えて「再誕Re-birth」を意味する5番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、漏らしてはいけない秘密や恐ろしい中心としての自分を改めて何で包み、どんな紐で囲んでいくべきか、考えてみるといいでしょう。
「アウトサイダー」という結界
例えば、1950年代に若干26歳のコリン・ウィルソンは、処女作『アウトサイダー』において、「アウトサイダー」という言葉をひとつの生き方として見出そうとしました。いわば、これが彼にとっての“一本の紐”だった訳です。
自分がもっとも自分となるような、つまり最大限に自己を表現できるような行動方式を見出すのが「アウトサイダー」の仕事である。……「アウトサイダー」は、たまたま自分が幸運に恵まれているから世界を肯定するのではなく、あくまでも自分の「意思」による肯定をしたいと願う。
ただし、そうした願いの前提には、自分にはさしたる才能もなければ、達成すべき使命もなく、これといって伝えるべき感情もない。そんなものあるはずもない、という「持たざる者」としての怜悧な自覚があるのでなければならない。
生きる意味などないし、自分は無力だ。それでもなお、何らかの意味を、目的を欲して、苦闘していくことになる、その永い苦闘のことを彼は「アウトサイダー」と呼んだ訳です。
今週のうお座もまた、彼のように自身のうちに棲みついた何かに輪郭を与え、内と外との区別をつけることで、尊重し肯定していくことがテーマとなっていきそうです。
今週のキーワード
無意味を超えて