うお座
ダウンジングで占うように
脱・感度のわるいラジオ
今週のうお座は、さむい空の上の方から、自分の心臓へとまっすぐ重りを垂らしていくような星回り。あるいは、人生の中でこれまで“活かされてこなかった部分”をサルベージしていくこと。
これはうお座の方に特に多いのですが、自分のことを無力などと思うのは、まったくの誤解です。これは厳密に言えば、うお座の方というのはそういう「無力の国」を造ることにかけては他の追随を許さない圧倒的な才能があるのです。
それは単に「怠惰」であるということとは微妙に、しかしながら決定的に違っており、例えば日本出身の英国人作家カズオ・イシグロが『私を離さないで』で登場させる寄宿学校で育てられたクローンたちのように、自ら「感度のわるいラジオ」のような存在として、「かくも従順に、抵抗もせずに、不当なことを受け止める」ようになっていくのです。
かように、うお座(の性質が強い人)はしばしば自分という存在を何か誰かに委ねたがる。それは裏を返せば信仰心の強さであり、人として敗れうることのできる深さでもあります。
今週は、これまで誰か何かに委ねたままにしてきた、あなたの記憶や経験、才能、欲求、感情を改めて自分のものとして引き受け直していくことで、ある種の「再誕生」を迎えていくことができるかも知れません。
タゴールの場合
では、どうすれば一度あずけた荷物を自分の元へと引き受けていくことができるのか。
例えば、ベンガルの大詩人タゴールの詩集『ギーターンジャリ』には次のような一節があります。
「あなたは私を限りないものにした。それがあなたの楽しみなのだ。この脆い器を、あなたは何度もからにして、またたえず新鮮な生命を注ぎ込んだ。この小さな葦笛を、あなたは山や谷に持ち回り、永遠に新しいメロディーを吹いた。あなたの手の不死の感触に、私の小さな心臓は喜びのあまりに限度を失い、言いようのない言葉を叫ぶ」
タゴールにしても、ヨブにしてもそうですが、自分がこれまで感情や記憶をあずけていた相手を、あこがれと畏れを同時に抱くことができるような大いなる存在として思い描くことができた時、人はその結びつきを通して、そのときどきに必要な荷物をサルベージしていくことができるのです。どうかご参考まで。
今週のキーワード
からの器としての自分