うお座
必要な変化は奇蹟か、美か
顔の移ろう季節かな
今週のうお座は、「とうふなめにばけたるかつぱや五月闇」(小川芋銭)という句のごとし。すなわち、自分の中の別の顔へとバトンを渡していくような星回り。
作者は河童(かっぱ)の図をよく描いたことで知られる画人であり、ひらひらとした手足で河童が泳ぎを楽しんでいる絵などはじつに闊達自在で、妖怪と人間、見えないものと見えるもの、光と闇の両面をあわせもつことのできる、いかにも洒脱味のある人物という印象を受けます。
河童は「屁の河童」と言うくらいに尻の穴が三つもあって、水中の溺死者の尻子玉を抜き、その屁にあたると病気を患うというくらいですが、しかし掲句に詠まれているのは人畜無害な癒し系妖怪として、すごろくやかるた、凧の絵柄にも登場した「豆腐なめ(豆腐小僧)」であり、いささか俳句としての骨格もひ弱なように思われます。
とはいえ、それもこちらの勝手なイメージの投影に過ぎないし、あるいは、梅雨のころの暗い夜を指す「五月闇」とバランスを取って明るくしていただけのことなのかも知れません。
5月30日にうお座から数えて「他者への応答」を意味する7番目のおとめ座で、上弦の月(動き出し)を迎えていく今週のあなたもまた、自分でも自覚していなかった新たな顔が掘り起こされていくことになりそうです。
奇跡ではなく美を
河童であれ人間であれ、どんな種だって進化の袋小路に入り込んでしまうことはありますが、ただそこからさらに自分で自分の首をしめていくようなケースについては(大抵はそうと知らずに)、はっきりと間違っていると言わねばなりません。
例えば、ベイトソンはそうした間違いの元は「奇跡の希求」なのだと言います。救世主であれ、降霊術であれ、「奇跡とは物質主義者の考える物質主義的脱出法に他ならない」のであり、そうした安易な誘惑にのることは誤った試みなのです。
「野卑な物質主義を逃れる道は奇跡ではなく美である―もちろん醜を含めた上での美だけれどね」(『精神と自然』)
興味深いのは、彼がそんな美の実例として、ウミヘビや、サボテンや、ネコなどの生き物を取り上げてみせるところでしょう。
ベートーヴェンの交響曲やフェルメールの絵画ではなく、そうしたシンプルな形態を選んだのは、どこか掲句の作者が自身の分身としての河童に「豆腐なめ」に化けさせた理由と通じているのではないでしょうか。
奇蹟ではなく、醜を含んだ美をこそ求め、自分を変化させていくこと。今週はそんなことを頭の隅において過ごしてみてください。
今週のキーワード
進化の袋小路にて