うお座
たまたまの向こう側
切れの効用
今週のうお座は、「老人と老人のゐる寒さかな」(今井杏太郎)という句のごとし。あるいは、見落としていたリアリティーの奥にあるものを受け取っていくような星回り。
当たり前のような日常の中に覗いたかすかなズレを鮮やかに切り取った一句。とはいえ、どこに「切れ」を持ってくるかで解釈も変わってくるところも味わい深い。
普通に読めば「老人と老人のゐる/寒さかな」であり、これは「老人」と別のもう一人の「老人」が同じ空間で出会うことで、作用し始める「寒さ」について詠んだものとなり、老人であるということを巡る実感の奥行きを感じさせます。
その一方で「老人と/老人のゐる寒さかな」と読めば、これは老人そのものと「老人のいる寒さ」とを区別して、自分の感じているものが何なのかということについて、通常の常識を突破すべく一人で内省を重ねているような姿が浮かんできます。
どちらが正解ということはなく、ここにはただ読者が自分の文脈に合わせて意味を汲み取るだけの余地が与えられている訳で、おそらく状況や年代に応じて自然と受け取り方も変わっていくはず。
そして12日(火)にうお座から数えて「移り変わり」を意味する3番目のおうし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、いつの間にか変化していた自分の感覚や、これまで当たり前のように通過していた概念に対する違和感に、改めて思い当っていくことになるでしょう。
行き交いゆくもの
もし「青年と老人との違いは何か?」と問われたら、今のあなたなら何と答えますか。
思うに、それは「欲望の限りなさ」にあるのではないでしょうか。肉体の若さというのはその端的な表れに過ぎず、老いた人の欲望はたとえ規模が大きかろうとどこか手近で、青年のそれのように決してはてしなく無謀なものではなくなってきます。
青年には夢があり、暴力があり、恋人があり、不安があり、敵があり、からっぽのさいふと、限りない青空がある。
一方で、老いてしまった人間には、友達やパートナーはいても、「恋をしています」とふるえる舌で言える相手はまずいないでしょうし、もし万が一、そういう相手ができたとしたら、その人は青年を取り戻したということだろう。
今週のあなたは、どこかでそうした青年が再び助走をつけて自分の中を通り抜けていくのを感じられるかも知れません。もしくはそれとは逆に、忍び来る老人の影を不意に察知することだってあり得るでしょう。
「老い」とは、あくまで相対的なものなのだということを弁えていきたいところです。
今週のキーワード
言葉と言葉の奥にあるもの