うお座
ここは地球、私は誰?
アインシュタインの自己定義
今週のうお座は、天から降り注ぐ「宇宙的宗教性」のさざ波を受信するアンテナのごとし。あるいは、誰か何かの背後に<意図>を感じ取っていくような星回り。
アインシュタインは擬人的な神の観念やそれに基づく宗教については決して認めることはなく、いわゆる一般的な意味での無神論者として知られていましたが、その一方で、アッシジの聖フランチェスコやスピノザなどを「宇宙的宗教性」を体現した人物として挙げ、彼らを貫く「宇宙的宗教性」こそみずからの科学研究の原動力なのだと述べてもいました。
彼が51歳の頃(1930年)に書いた『私の世界観』という本では、
「そのこと(真の科学の揺籃となる基本的感情)を知らない人、不思議な思いや驚異の年にとわられないような人は、いわば死んだも同然であり、その眼はものを見る力を失っている、と言わねばならない」
と述べた上で、
「この意味においては、またこの意味においてのみ、私は深く宗教的な人間に属する」
と断じているのです。
宇宙の神秘を鋭く感知し、死後数十年以上がたって初めてその理論の正しさが立証され始めているアインシュタインは、こうした文脈において「宗教的な人間」であることを自認していた訳です。
そして彼と同じうお座の人たちにとって今週は、自分がどんな人間であるのかということを思い出していくようなタイミングとなっていくでしょう。
風邪をひくと自分がわかる/かわる
もちろん、普通の人間がアインシュタインのような自己認識を持つことは難しいでしょう。
大体、その前に知恵熱が出てしまうはず。風邪をひいても頭はボーっとして、活動の生産性も落ち、なんだか世間の外にひとり取り残された気分になるものですが、ある意味で今週のうお座はそうした風邪っぴきの状態に近しいのだと言えるかも知れません。
風邪をひいた人間を見て、医者は発熱は体に入ったウイルスを免疫が撃退している証拠なのだと言いますが、これは一体どういうことなのでしょうか?
「しかし、ここではっきりしたことは、個体の行動様式、いわば精神的「自己」を支配している脳が、もうひとつの「自己」を規定する免疫系によって、いともやすやすと「非自己」として排除されてしまうことである。つまり、身体的に「自己」を規定しているのは免疫系であって、脳ではないのである。脳は免疫系を拒絶できないが、免疫系は脳を異物として拒絶したのである。」(多田富雄、『免疫の意味論』)
つまり、自分ではないものを通して、たえず新しい自分を創り続けているのが免疫であり、風邪をひいている時というのは、脳の自己定義を放棄して、いつもとは違う仕方で自己定義をやり直しているのだということです。
今週のうお座もまた、言わば脳みそではなく免疫を、理性の代わりに第六感を働かせていくことで、自分という存在を再定義していくことがテーマとなっていきそうです。
今週のキーワード
異物の判別を通して自己は規定される