うお座
寄せては返す波のごとく
時間の波がいつの間に
今週のうお座は、「足もとはもうまつくらや秋の暮」(草間時彦)という句のごとし。すわなち、いつの間に流れていた時間の重みを、お腹の底から実感していくような星回り。
すでに薄闇があたりを覆っているのだが、まず「足もと」だけに「真っ暗闇」が凝縮している。地面からの高さによって、また、意識からの距離に応じて、闇の濃度が層のように違って描かれているところに、はっとする一句である。
「足もと」をひとしきり見た後に視線を戻すと、目の前の「真っ暗」はもっと広がっており、もはや眼前にまで満ちているかもしれない。
潮の満ち引きも、夕闇の広がりも、いつだって人間の想像を超えた速度で広がっていくものだが、日の短くなる秋の夕暮れは、特に一日が短く感じられるのだろう。そうして、ふと、いつの間にか、私たちに残された時間は短くなっていくのだ。
しかしこの句にはそうした時間の流れに対する戸惑いや不安はあまり感じられない。「足もと」で、その実感をきちんと踏みしめられているからだろう。
そしてうお座から数えて「身体性」や「肚落ち」を意味する2番目のおひつじ座での満月から始まる今週のあなたもまた、それと似た実感を踏みしめていくことになるはずだ。
人は時おり別人になっていく
「足もと」とは違う部位で時間の流れを感じるものとしては、例えば「のど」ないし「声」が挙げられる。
人に言われてみないとなかなか分からないことだけれど、ちょっとした条件で人の声は変わってしまうし、毎日同じ声を出し続けるなんてとてもできない芸当だ。
そして、時には前日までの自分とはまるで別人になってしまったような変化を遂げる瞬間がある。何かが一時的に乗り移ったのか、本当に別人になったのかは分からないけれど、とにかくそういうことがあるのだ。
人は一生のうちに何人の別人になっていくのか。それはもちろん個人差があるだろうけれど、おそらく多い人で20人弱くらいまでは行くのではないか。いずれにせよ微妙な変化になればなるほど、人に言われてみないと自分では気付かない。
誰かに声をかけてみて、初めて違和感と共にそうした変化に気が付くこともあるだろう。その意味で、今週は何かしら自分の変化を他人を通して知るところも出てくるかもしれない。
今週のキーワード
青海波