うお座
無名者として在ること
仮の世界と本当の世界
今週のうお座は、職業人としての自分とは別の、もう一人の自分を生きていくよう。あるいは、無名の存在としての自分の存在を心の片隅に抱いていくような星回り。
かつてマックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、神に召されたと思ってまじめに仕事を続ければ、商売繁盛がついてくるという「世俗内禁欲」ということに言及し、合理化された現代社会では人は職業人に徹する他はないのだという考えを展開しました。
立派な職業倫理だとは思います。
しかし、それは時に過剰なまでに自分のアイデンティティーを職業と結びつけることで人を追いつめ、真面目な人に不必要な責任を負わせることで、死に追いやってしまうことがあります(他ならぬウェーバー自身もある時精神に異常をきたし、オカルトに走りました)。
職務をまっとうすることは大切ですし、立派な職業につくことは自尊心を高めてくれますが、それはあくまで社会という約束事の枠内における仮の世界の話であって、それを超えたところに本当の自分があり、本当の世界があるのだということも、心のどこかに置いておくべきでしょう。
23日(金)にうお座から数えて「裸の自分」を意味する4番目のふたご座で下弦の月を迎えていく今週は、もし今あなたが何か根本的な無理をしているか、どこか誤った方向に進んでしまっているという予感を持っているのならば、そこに歯止めをかけて行き詰まりを解消していくにはちょうどいいタイミングとなっていくはずです。
祈りと願いの配分
そう、あなたの職業に関わらず、本来この世界の平和を思うその影響の計り知れなさには大きな差はありません。
そうした肩書き以前に、ひとつの生命として大事な要となってくるのは、いちにちいちにち積み重ねていく行為のどこまでが「祈り」であるかどうかということ。
この場合の祈りとは、単なる「望み」とは決定的に異なり、家族の平穏であれ、日が昇ることであれ、そうした事態に自分も加わって、その責任の一端を引き受けたいという意志の現れでなければなりません。
つまり、自分にとってそれほどまでに大切だと思えるものが明確でなければ、自然と祈りから人は遠ざかっていきます。ましてやあれもこれもと手を伸ばし過ぎて、本当のところで何が大切なのか分からなくなってしまえば、跡形もなく祈りは生活から消え失せてしまうのです。
透明な無名者としての自分という感覚に比重が傾いていく今週のうお座は、ある意味では、自分の生活にどこまで祈りがあるのかを冷静に見定めていく期間なのだとも言えるかもしれません。
今週のキーワード
肩書きのついてない自分が本当の自分