うお座
運命を俯瞰する
運命の三様態
今週のうお座は、変態を遂げていく「蝶」のごとし。あるいは、「顔をくしゃくしゃにして」誰か何かを抱き抱えていくような星回り。
橋龍吾という詩人が残している作品の中に、「和解」という短い詩があります。
「すべてが最中(さなか)である以上は滑稽などあり得ないと、
我々は顔をくしゃくしゃにして抱き合った。」
このたった2行の詩なのですが、ここにはその昔、大工の息子イエスが、ゴルゴダの丘での死とその後の復活を経て、地球に新しい愛を伝える神の子キリストへと変容を遂げていった「幼虫→サナギ→蝶」の変容過程が、ぎゅっと凝縮して書きつけられているように感じられる何かがあるように思います。
では、「和解」とはこの場合、何との和解を意味しているのか。それはおそらく、自らの心に巣食う心の悪(不調和)との和解であり、その一切は自己との戦いであり、償いの果てにある1つの終わりなのでしょう。
8日(木)にうお座から数えて「意識の開け」を意味する9番目のさそり座で上弦の月を迎えていく今週は、そうした意味での和解に通じるような、ある種の出会いやイニシエーションを自らの生に見出していくことになりそうです。
仏さまの視点
もし仮に、この世の一切を見落とすことなく見通す仏さまがいるとしたら、その目から見ればどんな業界の大人物であれ門前の小僧であれ、みな等しく迷える蝶のようなものでしょう。
今週のうお座には、なまなましい現実を遠くへ突き放してしまう静謐さが宿っていきやすいのだとも言えます。
あるいはそれは、どうせ一生迷えるまま過ぎていくのなら、蝶のように無心になってとことんふらふらしてやろうじゃないか、という開き直りなのかもしれません。
いずれにせよ、<現実の自分―仏さま-蝶>のように、あなたはいま異なる位相にある視点を行き来していくことで、自然と俯瞰的に物事を見ていくことができるようになっていくはず。
場合によっては、現実の出来事をまるでカーペットの模様のような繰り返されるパターンとして認識されてくることもあるでしょう。
今週のキーワード
図と地