うお座
客観的な農夫
道化の本質
今週のうお座は、さながら「おきあがり小法師」のごとし。あるいは、あくまで自分を「道化」として見なしていくような星回り。
おきあがり小法師とは、福島県の会津地方に古くから伝わる郷土玩具の一つで、「起姫(おきひめ)」とも言うのだそう。
ウィリアム・ウィルフォードは、道化論のバイブルとも言える『道化と笏杖』のなかで、おきあがり小法師と道化の共通性について指摘しています。
いわく、おきあがり小法師は誰に小突かれても避けることなく引き受ける。これは確かに「愚かな犠牲者」としての道化の一側面とすぐに結びつく。ただ、そこですぐさまウィルフォードが強調しているのが「客観性」という点。
これはつまり、大きく殴ればその分だけ大きく倒れ、小さく小突けば同じだけ小さく傾く。そこには歪みがなく、決して事を大げさにまくし立てたり逆に過小評価することもない。
いつも揺れていて頼りない存在であるようで、じつは平衡を失わない客観性を保っている。これこそが道化の本質なのだという訳ですが、それはうお座本来の性質とも通底しているように思います。
周囲を映し出す「鏡」としての道化性を、自分に見出していくこと。それが今週あなたが大切にしていくべきテーマとなっていくでしょう。
人を通して我を知る
私たちは誰かに向かってなにかを語ることで初めて、語られた内実について気付きを深めることができ、そしてそれは相手のリアクションによってさらに強化されていきます。
その意味で、おきあがり小法師としての道化もまた、たえずそうした誰かの「語り」を誘発していくことで自分の役割を果たしているのだとも言えます。
その意味では、今週のあなたは、みずからを誰かの語りのカウンターパートとするべく、いかに呼び水をまいていけるかということが問われていく。
それはさながら、植物の種が大地にまかれ、養分を吸収することでやがて花を咲かせ、実をつけていくのを見守る農夫のごとき仕事とも言えるはず。
きわめて客観的な鏡であると同時に、作物の生育を見守る慈愛深き農夫であること。今週はそんなセルフイメージを思い描いていきたいところです。
今週のキーワード
王でも英雄でもなく