うお座
細やかなり
生活と自然
今週のうお座は、「菫つめばちひさき春のこゝろかな」(暁台)という句のごとし。あるいは、ささやかな美しさの中にこそ、真に偉大な精神の足跡を見出していくような星回り。
例えば屋久島の原生林のような、圧倒的過ぎる自然というのはなかなか俳句になりません。厳密には、俳句を詠むのが難しいということになる。
やはり同じ自然でも人間によりそってくれるところがあったり、すぐそばに在るのでないと、つまり生活と自然とがうまく溶け合っているような場でないと俳句は生まれてきてくれないんですね。
そういう意味では、俳句とはとどのつまり「物の見方」の芸であり、認識のプロセスにかかっているのでしょう。
その意味で、掲句のような小さな鉢に植えかえられた「菫(すみれ)」などは、先の原生林とは対照的に、存在感が弱すぎて、あるいは生活に馴染みすぎて見過ごされやすい弱い自然にすぎません。
しかし逆に言えば、そうした弱い自然を拾い上げ、芸術という人類の連綿とした営みを通じてひとつひとつを認識してきたからこそ、美というものが見失われることなく保たれてきたのではないでしょうか。
日ごろ自分に寄り添ってくれている弱くかそけき自然を手に取り、愛でていくなかで、そうした美をめぐる認識の系譜や継承されてきた手つきのようなものを感じとっていく。
それこそが「細やかなり(こまやかなり)」という言葉の本来意味するところであり、今週のあなたもまた掲句のような「細やか」さで日々を感じていくことができるはず。
言葉に問われているという視点
あるものを見る、感じる。その瞬間、自分の内側からなにか言葉がついて出てくかどうか。俳句をつくる時というのは、そういう微細な揺れのような感覚が大切になってくるのですが、そこでもやはり重要になってくるのが「言葉の問題」です。
感覚にせよ、認識にせよ、体験にせよ、やっぱりその着地点になってくるのは言葉なんです。どれだけ自分の経験を的確かつ自分らしい言葉にできるかというのは、毎日の生活のなかでどんな言葉を使っているかで違ってきます。
そして、この自分が言葉を使っているというだけでなく、言葉の方にこそ自分が日々問われているという視点こそ、現存する最古の歌集である『万葉集』の頃から既に培われてきた感受性であり、「言霊」というものの核心なのではないかと思います。
今週はぜひそうした視点を大切にされてみてください。
今週のキーワード
ことたま