うお座
安心感と導きの架橋
小さな日常に未来を引き寄せる
今週のうお座は「ジャムパンや世界たとえば春を待て」(十亀わら)という句のごとし。あるいは、未来を夢見るための基盤をひとつ定めていくような星回り。
ありふれていて、いつも視界のどこかにありそうなものである「ジャムパン」と、世界というはかりしれないものとを対置させ、そこに春を待つようにという1つの指令を加えること。
まるでドラゴンクエストの世界内で、平凡な主人公が勇者としての使命を帯びて冒険を始めていく光景を神の視点から目の当たりにしていくような、不思議な組み合わせです。
でも、そういう意外な使命を帯びたありふれた存在というのは、普段の生活の中にきっとたくさん紛れ込んでいて、私たちがそれに気が付かないだけなのだという気もします。
未来というと大きくて抽象的ですが、来年の春を気持ちよく迎えられるように、くらいまで限定してくれれば、たとえ「ジャムパン」と同じくらいありふれた自分だって頑張れるかもしれない。
今週は、そんな身近な自分のうつしみと、遠く離れた未来とを、ひとつの糸で結んでいくような、確かな「引き」を感じとっていく時期なのだと言えそうです。
安心感を思い出す
老子の第十章にはこうあります。
「迷える魂を落ち着かせ、統一を保って、そこから離れないようにできるか。
息をこらし、心を開いて嬰児のようにできるか。
神秘めいた幻想をぬぐい去って、一点のくもりもないようにできるか。」
いたずらに我を主張せず、かといってもたれかからず。
このような平静さは事態の克服と豊かさを保証してくれますが、どこか子宮の中にいた頃に感じていた胎児の安心感を思い出さんとする、今週のうお座にはもってこいという気がします。
考えてみれば、悟空が五行山の下敷きされ、お釈迦様に強制的に気を鎮められたのも、そうした嬰児退行の比喩的表現として読むこともできるかもしれないですよね。
気を確かにもって逞しくあろうとするよりも、かつて感じた「何か大きなものに委ねる安心感」を思い出すことが吉と出る。今はそんな時なのだとも言えるでしょう。
今週のキーワード
自覚的嬰児退行