うお座
浅さと断片と
苛立ちを解消するために
今週のうお座は、「キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事」(北大路翼)という句のごとし。あるいは、‟浅い”演出の中で、息が詰まるような関係性のガス抜きをしていくような星回り。
掲句を見て、「なんて軽薄な!」と思う人もいるかもしれない。俳句にしては軽すぎる? ちょっと待っていただきたい。
そもそも私たちは「深い」作品や、それを手掛ける作者の「深い」人格を果たして必要としているのだろうか。
さまざまな伝説や神秘が成立しえた昭和の時代ならいざ知らず、情報インフラが発達したことで誰もが‟化けの皮はがし”の対象となってしまう現代では、かつて志向されたであろう「深さ」にほとんど到達できない現実を抱えているのではないだろうか。
作者はそうした時代の空気を分かりすぎるくらいに感じとった上で、あえて掲句のような‟浅い”演出のなかに自らを置くことで、なんだかうまくいかない自分たちへの苛立ちを解消しようとしているように感じられる。
こういうガス抜きは、誰かがいつかはやらなければならなかったことだった。
今週のあなたもまた、埋められない理想との差分を煙のように無化していきたいところ。
逸脱のバイブレーション
例えば、「猫のしっぽ」のような存在の切れっぱし。あるいは、錆びた看板、使いかけのノート、壊れた機械の部品、音が一部飛んでるオルゴール、割れた食器、レンズのない天体望遠鏡、舞い上がるビニール袋、きちんとした文章になっていないけれどどこか引っかかる単語など。
それ自体では中途半端な、不完全で些細な、不具の断片。けれど、どこかそこから物語が始まっていきそうな、全体性を欠いた部分。いや、完成された全体性よりもずっとキラキラしている魅力的な神話のかけら。
「そんなもの、いつまで持ってるの、捨てなさい」
「嫌だ!」
予定調和的にストーリーが完成してしまうことを断固拒否するような、部分や断片(「ライバル店の火事」)には、こちらの論理を逸脱させるバイブレーションがあります。
ガス抜きをしていくというのは、そういうバイブレーションに身を任せてみると言うことなのかもしれません。
今週のキーワード
神話のかけら