うお座
慰めと想像
切り捨てられたものを想う
今週のうお座は、「この世から溢れるものだけかき集めガラスにつめてスノードーム」(村上なお)という歌のごとし。あるいは、虚構を虚構と知った上で、善く生きていこうとするような星回り。
人生というのは、本当に善く生きようとする者にとってはまことに生きにくいものだと思う。なぜなら、とうてい克服できるとは思えない矛盾が、そこかしこに埋め込まれているからだ。
そうした矛盾をやり過ごし、耳ざわりのよい現実だけを取捨選択するために、社会はまず弱い者や抵抗する力を持たない者から切り捨てていく。
お盆の時期というのは、そんな風にかつて社会や他者に切り捨てられた者たちの念で街の空気がじっとりと重く湿っていくように感じられてなりません。
一方で「この世」からあぶれ、すっかり見えなくなっていた存在や光景を思い出すにはもってこいのタイミングだろう。
今週のあなたは、そうして自己や社会から切り捨てられ、すっかりなかったことにされてしまった現実をいかに思い出し、自分なりに慰めていく方法を見つけていけるかが問われていきそうです。
想像の産物としての現実
1848年、十代の2人の少女は家の中でコツコツと何かを叩くような、はたまた家具が動くような物音を耳にし、やがて音と交信する暗号を編み出した末、音の正体を、彼女たちが住んでいた家で数年前に殺された商人の霊であると結論づけました。
これが死者と交信できると信じられた「降霊術」の、一大ブームのきっかけだったのです。
彼女たちの存在は、後に反スピリチュアリズムの立場からお金儲けのためのインチキとして糾弾されました。
しかしここで大切なことは、私たちが認識している現実というのは、想像力の影響を大きく受けているということ(知覚は錯覚を必要とする)。
今週のあなたもまた想像の産物をひとつひとつ拾い上げていくことで、「こうなって欲しい」という願いをはっきりさせていくことがテーマとなっているのだと言えます。
今週のキーワード
慰霊