
てんびん座
神秘なる水の力を借りて

さまざまな川の水の喩え
今週のてんびん座は、佐藤春夫の自己蘇生の試みのごとし。あるいは、海に抜けていくためのかぼそい通路を通っていく川の流れをみずから体現していこうとするような星回り。
誕生や死などのライフイベントしかり、洗礼などの宗教的儀式しかり、後戻りできない決断や行動を表す「ルビコン川を渡れ」などの慣用句しかり、人がその人生の節目に迎える通過儀礼というものはすべからく「水を渡る」ことに象徴されます。
例えば、都会を逃れた田園生活での、自らの病的な心理や心象風景を描いた佐藤春夫の『田園の憂鬱』では、さまざまな川の描写が登場し、そこでは「浅く走つて行く水」は、「ぎらりぎらりと柄になく閃いた」かと思うと、今度は「縮緬(ちりめん)の皺のやうに」という繊細なイメージに変わり、それらは交互にまじわって「小さなぴくぴくする痙攣の発作のやうに光つたりする」といった思いがけない描写が出てきます。
また、その一方で「流れ出て来た水」は、「うねりうねつて、解きほぐした絹糸の束のやうにつやつやしく、なよやかに揺れながら流れた」という描写も出てきて、こちらは「絹糸の束」というイメージに託してそこに穏やかな精神の流れが感じとられています。
こうした絶えず変転していく川の水をめぐる比喩の連鎖は、それ自体が佐藤の精神の不安定さを物語ると同時に、まったき自由に解き放たれた精神の伸びやかな可能性を書くことでみずから取り戻し、みずからの筆の力で生まれ変わらんとする作家としての執念をも感じさせてくれます。
6月3日にてんびん座から数えて「浄化と回復」を意味する12番目の星座であるおとめ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自力を呼び水に誰かの力を借りるのであれ、はなっから他者を頼るのであれ、ピチピチとした精神の弾力性を取り戻していくことがテーマとなっていくでしょう。
2つのレベルの間を流れゆく
人生とはつねにうつろいゆく風景のようなものと言えます。そしてたとえ猛烈な台風がやってきたとしても、ざわめき騒ぎ立つのはあくまで海の表面のみ。その下には深海が静かに広がっており、その逆も然り。どんなに激しい潮流の海であったとしても、海面を眺めていれば日の光を浴びてきらきらと輝く穏やかな印象を抱くでしょう。
表層と深層、人生にはつねに2つの異なる顔がその時々の表情を浮かべており、小さくまとまることをよしとしないスピノザが大切にしようとした「自己と非自己とのあいだの境界線を引かずに、不断に考え続ける」という自己保存(コナトゥス)的な態度は、たとえばそうした2つの風景を行き来することができるような自分であり続けるということでもありました。
もし今あなたが表層の現実だけにはまり込んでいるのなら、すぐにでも探索に出かけましょう。あるいは、きらきらとした波間や、海中の神秘を思わせる相手や場所があるのなら、その懐に飛び込んでいきましょう。
今週のてんびん座は、そうして何かしら「水を渡って」いくことで、みずからの人生に失われつつある未知を少しでも取り戻していきたいところです。
てんびん座の今週のキーワード
川面の痙攣の発作のやうなきらめき





