
てんびん座
草生える

植物的な存在であること
今週のてんびん座は、『平凡な言葉かがやくはこべかな』(小川軽舟)という句のごとし。あるいは、タイムラインの片隅をみずみずしいみどりいろで覆っていこうとするような星回り。
「はこべ」は野原や道の脇などに自生する草丈せいぜい30センチほどの春の七草のひとつで、白い花も小さく目立たない。こんなにも慎ましい仕方で春がやってきたことを伝えてくれる存在はなかなかいないだろう。とうぜん、その存在に気付いて言葉を受けとる人もいるが、それは気付かない人や、気付いても見向きもしない人よりずっと少ないはず。
なんだか路上ライブに興じる無名のアーティストみたいだが、しかし作者は、そんなはこべの伝え方の「平凡さ」こそが輝かしいのだという。これはどういうことだろうか。
おそらく、作者と同じ意味で「草」について詠んでいる作品に、野村喜和夫の評論集であり詩集である『二十一世紀ポエジー計画』がある。その中で、詩人は次のようにのたまう。
もはや女になるほかあるまい。草を通して言語的大地に接合されること、それは女になるということだ。草すなわち女。
敗亡だの勝利だの対立だの、すべては男性的原理の言わしめる批評的たわごとである。草や女はどこにも帰属せず、選別もされず、ただ生えるだけだ。枯れるがまた生える。そのようにして言語的大地に養われ、また吸い込まれ、また生み殖やされ、そしてさらにはみずから草や女といった実質をも、流動してやまない分子のようにつきぬけてゆくのだ。
成功か死か。そのあまりに男性的で、一直線な生き様とは対照的に、「はこべ」のような草は春が来て芽吹き、枯れてはまた再生するといった、四季を繰り返す永遠の循環のなかで、私たちに束の間の夢を見させてくれる。
その意味で、4月18日にてんびん座から数えて「ネットワーク」を意味する11番目のしし座へと火星が移っていく今週のあなたもまた、人とかかわるたびに勝ちだ負けだと鼻息を荒くする代わりに、しずかに草でも生やしていくといいだろう。
人生の土壌
日本人の先祖ははるか3万年ほど前に海をわたってこの列島に住みついたと言われている。そして、その中には舟とともに籾をつんで、稲作をはじめた人もいただろう。それ以来、この日本では稲作を中心に社会は栄え、夏には田植えをして、秋には稲刈りをするという作業の循環を、気が遠くなるほど繰り返してきた。
そうして、気が遠くなるほど土にまみれても、列島の土壌から豊かさは失われることなく、そこに住む日本人に富と豊かさをもたらし続けてきてくれたわけだ。それと同様に、あなたという個人においても、これまで何度も何度も繰り返しあなたの心を救い、1度や2度うまくいかなくなっても、人生の豊かさを思い出させ続けてくれたもの=土壌があるはず。
ただ、そうした土壌がもたらす恵みの力も、手入れもせずに雑草だらけのまま放置していれば、いつかは尽きて荒れ果ててしまう。定期的に耕しては、新鮮な空気を入れ、養分を取り戻さなければならないのだ。
今週のてんびん座は、そんな自分の下に横たわっている人生の土壌に、黙々と鍬を入れていくにはもってこいのタイミングと言える。
てんびん座の今週のキーワード
この世の夢は平凡さに支えられている





