てんびん座
海と妖怪
扉の先にあるもの
今週のてんびん座は、『夜長びと海に向く扉を押しにけり』(田中裕明)という句のごとし。あるいは、日常を取り囲んでいた境界線の外へとふっと出ていくような星回り。
秋の夜長に、人が扉を押した。その向こうには海がある。それだけと言えばそれだけの句ですが、まるで夜長を一身に宿したかのようなその人の気配や、見えないはずの海の余韻がどこまでも後を引くようでもあります。
「海へ」ではなく「海に」とあるので、海がすぐそばにあるように感じられる。扉が開けば、そこに広がるのはどんな海だろうか。
月光を浴びてきらきらと表面が照り輝いているような海なのか、それとも巨大な黒い塊のようにその吐息だけが漂っているような海なのか、波の音は聞こえるのか、静かなのかはよく分からない。扉を押すところで終わっているからです。
逆に言えば、その扉がどうにも重いのだ。それは日常の重たさであり、そこで過緊張になりがちな身体の重たさであり、すっかり無感動に、鈍くなってしまった気分の重さでもあるのだろう。しかし、或る夜ふと「夜長びと」へと転身していたかの人にとって、押してみた扉は意外なほどに軽かったのかも知れない。
手を軽く置くだけで、ふわっと開けてしまったのだとしたら、それは清らかな月光のせい。どこかずっしりとした重みを感じたのだとしたら、闇夜の深まりのせい。
10月11日にてんびん座から数えて「安心感」を意味する4番目のやぎ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自身の身体を重さや軽さを占うつもりで、そっと「扉」に手をかけてみるといいでしょう。
現象としての「妖怪」
夜、薄暗い沢や谷で「シャリシャリシャリ」という、あずきを洗うような音がする。それは小豆とぎという妖怪が音を出しているのだ。そんな伝承が、かつては日本各地に残っていたそうです。
今どき妖怪なんて言えば、無知や妄信のレッテルを真っ先に貼られてしまいそうですが、しかし水木しげるや彼のよき理解者たちが口々に言っているように、そもそも妖怪というのは近代的知性によって「解明」され「克服」されるべき対象などではなく、掲句における海と同じように、ただ「感じる」ものなのです。
例えば先の小豆とぎにしても、濃い闇の感覚、水の流れる音や虫の声とは別に聞こえてくるかすかな物音、確かにそこに何か動いているものがいる気配、といった否定しようがない身体体験への感じ取りが前景化していった時に、ひとつの現象として仮の名称を与えられたものだと考えれば合点がいくのではないでしょうか。
今週のてんびん座もまた、そうした目に見えない、音や気や、不可解な「感じ」としか言いようがないものが、像を結んでひとつの疑いようのないリアリティーを作り出していくはず。
てんびん座の今週のキーワード
触覚性感覚の立ち上がり