てんびん座
眼を光らせろ
群衆とたやすく結婚する者
今週のてんびん座は、ボードレール的な「沐浴」のごとし。あるいは、自分を閉じるのではなく開いていこうとするような星回り。
もはや「自己実現」という言葉は、就活を控えた大学生から定年後のお年寄りまで、あらゆる年代で当たり前のように使われるようになってきました。自分をさらに自分らしく。自分と社会やこの世界との結びつきをしっかりとした、ゆるぎないものにしていきたいという志向性は、確かに人生をある目的に向かって、意味のあるものにしていきたいと願う人にとっては最優先されるべきものと言えるかも知れません。
しかし一方で、自分というものから解き放たれたい、特定の目的や役割と分かちがたく結びついてしまった自分を解除してしまいたい思うこともあるのではないでしょうか。
例えばパリに生まれた詩人ボードレールは、匿名の人間として群衆のなかをひとり、ぶらぶら歩きする愉しみを「群衆に沐浴(ゆあみ)する」と表現しました。そうした群衆のなかにあって、自分という囲いを外し、通りかかる未知のものにみずからをそっくり与えてしまう快楽を、次のように述べてみせたのです。
群衆とたやすく結婚する者は、金庫のように閉ざされたエゴイストや、軟体動物のように殻に閉じこもった怠け者などには永久に与えられることのないような、熱烈な享楽を知るのである。彼は、めぐり合せが提示してくれる職業のすべて、歓びのすべて、悲惨のすべてを、自らのものとして受け入れる(阿部良雄訳、『ボードレール全詩集〈2〉』)
確かに、あまり意味のあることばかりしていると、移ろいやすいもの、傷つきやすいもの、滅びやすいものが眼に入らなくなるという意味で、それしかできないというのは無能力の証なのかも知れません。
20日にてんびん座から数えて「自己再生」を意味する5番目のみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、街を無目的にぶらぶら歩いて、その道すがら、未知のものの感触に自分を委ねてみるといいでしょう。
全身を目にする
例えばすべすべとした可愛らしい丸石というのは、いきなりどこかからポンと生まれてくる訳ではなくて、河原でごろごろごろごろやっているうちに、だんだんと時間をかけて丸くなっていったものを、人間の側で見つけることによって手に入ります。
そう、どこかの時点で「あっ」と思って、発見されていくんです。赤瀬川原平さんという前衛芸術家が、かつて「芸術って別にものを作らなくてもいい。すごいものを見つければいい」ということを言っていて、実際に街をフィールドワークし、意味のない階段、どこへも繋がっていない扉など、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物。その役に立たなさ、非実用性において芸術を超えた存在。さながら異世界に通じる呪物のようなものを「発見」していきました(『超芸術トマソン』)。
今週のてんびん座もまた、凝り固まった肩の力を抜きつつ、何気なくその場にあるものにびっくりしたり、その意味がどこか別のところへと運ばれていくような時間にとっぷりと耽溺してみるべし。
てんびん座の今週のキーワード
光源としての眼