てんびん座
鼻をきかせて
濡れ痕と金魚売
今週のてんびん座は、『金魚屋のとどまるところ濡れにけり』(飴山實)という句のごとし。あるいは、懐かしくも新しいものの痕跡をたどっていこうとするような星回り。
作者がふと幼少期の記憶をたどると、よく家の近くまで物売りがやって来たものだったし、夏はことに多かったような気がしてきた、というところから出てきた一句。
ラッパを吹きながらリヤカーを引いて町を練り歩く豆腐売りも、今ではすっかり見かけなくなりましたが、金魚売りや風鈴屋はすでに平成に入った頃にはほとんど見かけなくなっていたように思います。
金魚を入れた桶を天秤棒でかついで、すこし間延びした声で道をゆく。それで客に呼び止められて桶をおろすときに、身体の揺れで水が少しこぼれるのです。
後にはただ、金魚売がいた痕跡として、わずかな濡れ痕がのこるばかり。それでも、子どもなんかは鋭いので、濡れ痕を見ただけで「あっ、金魚売りが来てる!」と気付いて、あたりを探し回ったりしたものでした。
さて、昔の子どもが目ざとく勘づいては走って追っていた、何か鮮やかでなまなしい、わくわくさせてくれるようなものは、今世の中のどのあたりを回っているのだろうか。
8月4日にてんびん座から数えて「遠くにあるもの」を意味する11番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、これは「濡れ痕」だなと思えるものと出会ったら、嗅覚を鋭くきかせていきたいところです。
ハイデッガーの「拡がり(Dimension)」
考えてみれば、僕たちはいつだって、前のめりになって未来を先取りすぎてしまったり、逆に落ち込んだり気にし過ぎたりして過去に戻り過ぎてしまうかのどちらかに振り切れすぎてしまっていて、ほとんどの場合、<いまここ>にちょうどよく落ち着くことができずにいるのではないでしょうか。
その意味で、「いまは“まだ”~でない」という意識と「いまは“もう”~でない」という意識の双方に「いま」がパックリと口を開いているのだとも言える訳ですが、こうした「“もう”から“まだ”へ」という意識の移行を成立させる場所としての「いま」のことを、ハイデッガーという哲学者は「拡がり(Dimension)」と呼びました。
これは通常は「次元」と訳されて、「三次元空間」とか「多次元宇宙」みたいな使われ方をしますが、もとはラテン語の「ディメチオール(測量する)」に由来していました。
すなわち、断絶のない連続的なまとまりであることが「測る」の対象であり、少なくとも自身の感覚によって測ることのできる「拡がり」をもつある種の運動こそが「いま」の正体であるとハイデッガーは考えていた訳です。
そして、先の濡れ痕を見つけた子どもが、金魚売りを探して走り回るというのも、そうして「いま」の範囲の「拡がり」を測量しているのだと言えるかもしれません。
今週のてんびん座は、もう何者かである自分と、まだ何者でもない自分とのあいだに、どんな「拡がり」を見出していくでしょうか?そこに留意していくべし。
てんびん座の今週のキーワード
改めて自身の現在地点を捉えなおしていくこと