てんびん座
沈黙週間
自分自身を理解する機縁
今週のてんびん座は、「時間は流れてなどいない」とうそぶいたキルケゴールのごとし。あるいは、人生の「流れ」の書き換えを試みていくような星回り。
情報が過剰となり、あらゆるメディア環境を通じて氾濫状態となっている現代において、時の流れはますます速まり、ほとんど波打つ龍のごとく暴走しているように感じられます。しかし、「主体性こそが真理である」とする実存主義の源流であるキルケゴールは、そうした一般的な見方に反して、「時は過ぎ行く、人生はひとつの流れだ、などと人々は言う。私はそんなふうには見ることはできない。時は静止しており、私は共に静止している」と述べています(飯島宗享訳『現代の批判』)。
これはいわゆる哲学的思索を通して永遠によって触れられた瞬間、<満ちたる時>のことでしょう。半ば過去に引きずられながらも、どこか惰性で未来へと流れていく日常の時間の流れの中にあって、いわば一寸だけ精神がそうした苦しい精神の綱引きとは異なる次元へと垂直にぬけでるのです。
キルケゴールは、過去と断ち切られたそうした瞬間においてその人は新しい生、再誕生を意識するようになると考えているのですが、ここで注目したいのはその延長線上で語られた次のような一文です。
人と人との間で最高なのは、弟子は教師が自分自身を理解する機縁であり、教師は弟子が自分自身を理解する機縁である、ということだ
機縁とは「きっかけ」の意味ですが、知的な刺激を最大限に受けられるような人との出会いこそ、人生の「流れ」を書き換え、人を新しい生へと生まれ変わらせる最大の「瞬間」なのだと言っているのです。ひるがえって、ここ最近、あなたが最も精神的に刺激を受けたのは、一体どんな瞬間だったでしょうか。
2月29日にてんびん座から数えて「自己規律」を意味する6番目のうお座で土星と太陽と水星の3つの惑星が重なっていく今週のあなたもまた、そんなことを思い起こしつつ、新たな生がどこへ向かって走り始めているのか、きちんと確認してみるといいでしょう。
沈黙と静止の時間
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の中の印象的なシーンに、主人公の碇シンジと綾波レイが、生物兵器エヴァンゲリオンに搭乗するために地下基地に降りていく場面があります。
彼らはいっさい言葉を交わさず発せず、ただひたすらに地下に降りていく。おそらく1分近く画面がまったく変化しないため、見ている人の中にはフリーズしたかと勘違いする人もいるはず。
ただ、それがエレベーターの乗り込む場面と降りる場面にサンドイッチされていることで、はじめてその沈黙の深さに思い至ることになる。そして、こうした果てしない下降感覚とそれを共有する時間というのは、多くの現代人が失いつつあるものの一つでしょう。
どこまでも降りていくことによって開かれてくるもの。それは、どうしようもないほどの実存的不安であり、エヴァ的に言えば「堕天使の哀しみ」なのだとも言えるかも知れません。シンジとレイはそれを言葉以前の感覚的な部分で共有していたのではないでしょうか。
今週のてんびん座もまた、いたずらに言葉を重ねこねくり回すかわりに、不要不急な言葉はなるべく伏せて、それらの背後にある根本的な感覚をこそ深めていきたいところです。
てんびん座の今週のキーワード
言葉以前の営み