てんびん座
弱い情報を遮断しないでい続けること
めぐり逢いを実現させるもの
今週のてんびん座は、「あう」という言葉のごとし。あるいは、「偶然」とか「たまたま」といったことを、ひとつの儀式にまで高めていこうとするような星回り。
「出会い」の偶然性を問い続けた九鬼周造は、主著『偶然性の問題』の最後に、「遭うて空しく過ぐる勿(なか)れ」という言葉を引いて論を閉じました。
これは「あう」ことがいかに難しいものであるかということを九鬼が痛いほどに感じていたからこそ紡げた言葉と言えますが、逆に言えば、誰かと「出会い」、何かと自分がピタリと「合う」ことは、当人の感性や知性ぬきには語れないということであり、出逢いの現場で何かを一目みて“いい”と直観できるようになるためには、それ相応の努力や、その蓄積である実力が必要不可欠なのだということでもあります。
例えば、月に「逢う」というようなことであっても、あつい雲のあいだから月が出るか出ないかは、ひとりの人間の力ではどうすることもできません。それでも、頭を高くあげて雲の切れ目を見つめ続けていない限り、月を見つけて逢うことはできないのです。
そうした、「やっとこうしてうまく逢うことができた」という“めぐりあわせ”には、必ず自分の力を超えた働きへの感受性が伴なわれているのです。そのことをよく踏まえた上で、いま一度先の九鬼の引用に立ち戻られたい。
12月20日にはてんびん座から数えて「自分なりの流儀」を意味する6番目のうお座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、よい出逢いの感受を実現するためには、そのための然るべき前準備が必要不可欠であり、そこに手間暇をかけていく時間をいま一度大切にしていくべし。
脆弱を去来する何かがあるということ
「完璧さ」や「調和」への「強化」や「拡張」という仕方とは別のスタイルで、自分自身を回復させ、再生させていくこと。言い換えれば、それが今週のてんびん座のテーマなのだと言えます。
どこから見ても完璧で、見事な調和=美しさを体現した人間などこの世にはいませんが、それでも多くの人はそうであることを価値と見なし、何らかの欠損や不格好、あるいは傷跡をできるだけ人の目から隠して、なかったことにしようとします。それが愛されるための唯一の方程式であり解であると言わんばかりに。
けれど、実際に私たちが何か大事なことに気がつく契機や機会というのは、大抵は小さなすき間や亀裂のように狭く短いものであり、例えばそれが「月と逢う」ということだったりするのではないでしょうか。
うまく行けば、今週のあなたもまた、そうした脆弱でフラジャイルな情報を遮断しないでいることの大切さをまざまざと実感していくことができるはず。
てんびん座の今週のキーワード
遭うて空しく過ぐる勿(なか)れ