てんびん座
「今」を取り戻す
「今」がない発話
今週のてんびん座は、「からだ=風の如きもの」という等式への肉迫。あるいは、「ただ生きて働いているからだがあるだけ」という実感に近づいていこうとするような星回り。
「話す」の語源は「放す」にあるという説を聞いたことがありますが、誰かに話しかけるということ一つとってみても、現代の私たちはともすると言葉にうまくまとまらず口ごもったり、逆にひとりで空回りしているだけで相手には何も伝わっていなかったりして、「ことば」が成立していないことが思っている以上に多いのではないでしょうか。そうした事態について、演出家の竹内敏晴は長年の演劇指導経験から次のように指摘しています。
自分がほんとに言いたいことがはっきりし、ことばとして充実して組み立てられ、さて相手をまっすぐ見、まちがいなく声で相手のからだにふれられた、となる(…)盟友の語るセリフなども多くこれに類するだろう。ではこれが最上の話しことばか、となると、私にはどうもなにか一つ物足りない感じが残る。(…)単純に言い切ってしまえば、そこには、「今」がない、のだ。(『ことばとからだの戦後史』)
ここで竹内が言っている「今」とは、生きて働いている「からだ」のことであり、この場合の「からだ」とは古代ギリシャの哲学者たちの「魂」であり、深層心理学者のユングにおける「アニマ(無意識的なイメージ像)」にあたり、つまり「からだが働いている」とは通常の意味での「わたし」を超えた運命的な「なにか」に突き動かされている状態を指しているのではないでしょうか。
竹内によれば、そういう「からだ」とはすなわち「風の如きもの」であり「あるともないとも言えず、突如として」「巻き起こる」ものなのだとも述べています。
11月24日にてんびん座から数えて「コミュニケーション」を意味する3番目のいて座へと「筋肉による跳躍」を司る火星が移動していく今週のあなたもまた、「話しかける」ことをめぐる幾つかのレベルを意識しつつ、「からだ」が働いていく感覚に近づいていくべし。
エリック・サティの徒歩癖
19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの作曲家で、しばしば「音楽界の異端児」と呼ばれるエリック・サティは、32歳の時にパリの中心部から郊外の町に引っ越してからというもの、死ぬまでの約30年間ほとんど毎朝、元の家までの10キロ近い道のりを徒歩で歩くことを日課とし、途中ひいきのカフェに立ち寄って、友人と会って酒を飲んだり、作曲の仕事をしたりしながら、午前1時発の最終列車までの時間を過ごしたのだと言います。
時おり、というかしばしば彼はその最終列車さえも逃して、そのときは家までの道のりをやはり徒歩で歩き通し、帰りつくのが夜明け近くなることも少なくなかったのだとか。
こうした彼の徒歩癖は、その創作活動とどんな関係にあったのか。あるいはなかったのか。ある研究者は、サティの音楽の独特のリズム感や「反復の中の変化の可能性」を大切にするところについて、「毎日同じ景色のなかを延々と歩いて往復したこと」に由来するのではないかと考えているそうです。
ただ、直感的に述べてしまえば、特に最終列車を逃した後の帰路が鍵を握っていたのではないかと思います。つまり、それがサティにとっての「私を超えた<なにか>に突き動かされている状態」だったのではないでしょうか。その意味で、今週のてんびん座もまた、そんなサティよろしく、自分なりに風が巻き起こるのを待っていくべし。
てんびん座の今週のキーワード
夜明け前の帰り道