てんびん座
わたしの複数性について
曼殊沙華とわたし
今週のてんびん座は、『曼殊沙華女には紐あまたあり』(三好潤子)という句のごとし。あるいは、みずからに生の実感をもたらしてくれるものに貪欲になっていくような星回り。
おそらく帰宅後に、着ていた和服を脱いでいる時に感じた実感を詠んでいるのでしょう。自身の体にまといつくあまたの紐とは、すなわちこの世で結ばれている縁のことであり、そこには単純に「好いた惚れた」とか「損か得か」といった言葉では割り切れない摩訶不思議な相手や関係性も入ってくるはず。
「女には」とわざわざ書いていることからも、作者がことさらに自身の艶っぽい面を意識していたと同時に、ちょうどこの時期に真っ赤な花をつけることから“彼岸花”とも呼ばれる「曼殊沙華(まんじゅしゃげ)」に自身を重ねていたことが分かります。
すなわち、ここには欲に突き動かされ、どうしたってそれに振り回されて生きざるを得ない「昂ぶる自分」だけでなく、それを見つめているもう一人の「醒めた自分」がいる。あまたの紐を見つめるそのまなざしは、醒めていれば醒めているほどに淋しく、悲しい光を帯びていく。
だからこそ、その淋しさや悲しさは、昂ぶる心に身を任せることで、かろうじて癒されるのでしょう。こうした「昂ぶる自分」と「醒めた自分」の反復やその繰り返しこそ、作者にとって命の輝きに他ならなかったのかもしれません。
9月23日に自分自身の星座であるてんびん座への太陽入り(秋分)を迎えていく今週のあなたもまた、そんな繰り返しの起点となるもう一人の自分のまなざしがひと際光を増していくはず。
同体異心
岡本かの子の短編小説に『秋の夜がたり』という作品があります。中年の両親が20歳前後の息子と娘に旅先で昔話をしているという設定で始まるのですが、いわく2人の母親は女友達で、たまたまそろって妊娠中に夫を亡くし、父親は女の子として、母親は男の子として育てることを合議して決めたのだと言うのです。
やがて男の子として育てられていた母親が初潮を迎えると、母親たちは事実を子どもたちに伝え、「なぜ」ということを聞き出すこともできず受け入れて成長していく。そのうち、女装した息子は「建築学を研究したい」と思うも奉公先で三角関係になり、乗馬に秀でていた男装の娘もやはり絶体絶命な状況となっていたため、そろって都を飛び出し、田舎で2人は自然と元の性にかえり、そこで夫婦として暮らすようになったのだとか。
そして、このお話について翻訳家の脇明子が「この女装の男の子もやっぱり少女なのではないか」という非常に興味深い指摘をしていて、この物語全体が「女はこうあるべきだという通念に従いながらも、そこにおさまりきらない心」を複数の人物(両親、娘、息子)に分裂させて描くために書かれているのではないかと続けているのです。
今週のあなたもまた、一見関係ないように見えつつも、実のところ自分の分身でもあるような他者との関わりに積極的に巻き込まれにいってみるといいかも知れません。
てんびん座の今週のキーワード
もう一人の自分を見つけておくこと