てんびん座
いい夢みようぜ
制御不能なカオスのただ中へ
今週のてんびん座は、『江戸名所図屏風』のごとし。あるいは、悪夢的現実とは異なるもう一つの夢を紡ぎ出していこうとするような星回り。
17世紀当時の、上野から品川にいたる新興都市としての江戸を描いた細密画である『江戸名所図屏風』には、どこか地獄絵にも通じるような不思議な魅力があります。
吉原遊郭や芝居小屋に集う町人風の客たち、仏像を見せて布施を乞う乞食坊主、茶を立てて売る店の売り子、鉦と鼓で踊りながら金を集める芸能者から、家を作っている大工たちなど、この屏風にはじつに2000を超えるさまざまな職業の人物が描きこまれており、その前に立っているだけで彼らのさざめきがそこかしこに聞こえてくるはず。
視野の限り広がる空間を埋めつくすかのように描かれた、それぞれにまったく異なる様相を呈する江戸人たちは、皆やたらと個性的で、生き生きとしているだけでなく、あくまで互いに無関連に存在していることで、まさに画面のなかで制御不能なカオス状態を生じさせており、そうしたうごめく幻影は、見る者の想像力を取り込むことで、現実にあった歴史的事実とは異なる、新たな物語を生みだし続けていく―。
だからこそ、人はどこにも持っていきようのない衝動や、誰にも打ち明けようのない思い、まだ名前すらついていないような感情を、この絵に描かれた雑踏のなかにそっと紛れ込ませては、その“生きどころ”を無意識に探してきたのかも知れません。
16日にてんびん座から数えて「雑踏」を意味する11番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、少しでもカオスが感じられるような場所に足を延ばしてみるといいでしょう。
迫りくる悪夢への抵抗
ここで思い出すのは、私たちは日々、夢の中でたえずなにものかを見、なにごとかを聞いている訳ですが、こうした夢の素材は、いったいどこから到来するのか、ということです。
例えば、ベルクソンは記憶と回想という2つの観点からこの問いに答えています。第一に、ひとは睡眠中でも視覚や聴覚や触覚から逃れられず、傍らで焚火を起こせば夢の中でもそれとなく明るい世界を体験したり、暖かさを感じたり、パチパチと何かが弾ける音を聞いていたりする(記憶)。そしてそれらは、言わばきわめて“現実的”な夢を形成している。
では、こうした感覚のかけらたちを意味づけ、かたちを与え、夢の内容として紡いでいるのは、いったい何によってなのでしょうか。いったい何が「未決定な素材にその決定を刻み込むことになる」のか。それこそが「回想」であると、ベルクソンは考えた訳で、そうした「回想」の度合いが強まるほどに、夢はどんどん“空想的”で夢らしくなっていく。
つまり、夢とうつつは、記憶と回想を通じて混じり合うものなのだ、と。「いのち」の在り様について問い続けたベルクソン哲学の主要な概念である「生の飛躍」とは、いのちが見る夢に他ならず、その意味で先の「江戸名所図屛風」というのも、迫りくる悪夢としての現実に対抗するための、もう一つの夢であった、少なくともそうした夢見のための通路だった、とも言えるのではないでしょうか。
今週のてんびん座もまた、悪夢とせめぎ合う良夢に加担するべく、現在進行形の「記憶」を捉えなおし、書き換えるような「回想」的試みを積極的に行っていきたいところです。
てんびん座の今週のキーワード
「There is a dream,draming us.(ここには私たちを夢みている夢がある)」(アボリジニ)