てんびん座
余計なものが落ちていく
冬のにおい
今週のてんびん座は、『蝋梅は面会室を満たしけり』(澤田和弥)という句のごとし。あるいは、大人としてのしがらみをどこかに置き去りにしてくるような星回り。
「蝋梅(ろうばい)」は12月から2月にかけて、他の花に先がけて寒中に咲く蝋細工のような黄色い花で、薫り高いことでも知られています。
それは生命活動の証しとしてのにおいがうすくなる冬にあっては貴重なにおいの源として、空気が冷たく澄んで良い感じにツーンとしている鼻先をやさしくくすぐってくれるはず。とはいえ、それも日常に追われていればほとんど感じない程度のものであり、仕事や家庭で忙しい大人にとって、そうした“冬のにおい”はしないも同然なのではないでしょうか。
そんな大人のひとりであった作者にとって、ただ「待つ」ことに集中させられる面会室は、たまたまそうした日常の忙しなさを寸断する一種の解放区となった。おそらくは、ネットやLINEなどから入ってくる情報や余計なこわばりが抜け落ちた代わりでなければ、“冬のにおい”というのは感じられないのかも知れません。
考えてみれば、子どもの頃は朝方に雪が降り積もっているのを見ると、「冬が来た!」 と大はしゃぎしたものでしたが、私たちはいつの間にか子どもの頃の感性を失って、“冬のにおい”を感じない大人になってしまっているのでしょう。
その意味で、29日にてんびん座から数えて「童心」を意味する5番目のみずがめ座の半ばに太陽が達して立春を迎えていく今週のあなたもまた、そんな冬のにおいを感じるだけの余裕や感性を取り戻していきたいところ。
つかえが取れる
江戸時代の三大俳人の一人である小林一茶は、庶民的な句を大量につくりだしたことで知られていますが、40歳を少し過ぎたあたりから句が明らかに変わっていきました。
かなり露骨な貧乏句を作るようになったり、他にも奇妙な変わり様を見せるようになったりして、これが長年の庇護者たちの首を大いにかしげさせました。いい変化なのか、わるい変化なのか判別がつかなかったのです。
この点について例えば作家の藤沢周平は評伝小説『一茶』の中で、自身も高名な俳人で一茶の生活の世話などもしていた夏目成美(なつめせいび)に次のように語らせています。
これを要するに、あなたはご自分の肉声を出してきたということでしょうな。中にかすかに信濃の百姓の地声がまじっている。そこのところが、じつに面白い
今週のてんびん座もまた、一茶ほどではないにせよ、どこかで自分の「地」が出てきつつあることの実感をでつかんでいくことができるかも知れません。
てんびん座の今週のキーワード
地声とは子どもの頃の自分の声でもあるのだろうか