てんびん座
道の先に跳ぶために
古池や芭蕉跳びこむ水の音
今週のてんびん座は、芭蕉のいう「一筋の道」に足をかけようとしていくよう。あるいは、重たげな我が身を少しでも軽くしていこうとするような星回り。
芭蕉が一世一代の旅に出て、野に行き倒れて髑髏(どくろ)になっても構わないとうそぶいたとき、彼は41歳でした。現代的な感覚では、まだまだ若いしこれからじゃないですかと感じる年齢ではありますが、50歳前後で死ぬのが大半であった江戸時代当時の感覚としては、すでに晩年に入りかけていたことになり、実際芭蕉は51歳で亡くなっています。
その意味で、41歳の芭蕉はまさに変容のとき、成熟のときを迎え始めた門出にあった訳ですが、そこで初めて見えてきたものについて、43歳の芭蕉は「つひに無能無芸にして、ただこの一筋につながる」という言い方で表しています。
それは別の言葉で言い換えれば、立身出世もできず、かといって出家遁世もかなわなかった身がようやくたどった旅ゆく田舎道としての「半僧半俗」ないし「非僧非俗」であり、心の歴史をつらぬく一筋の道としての芸道ということだったのでしょう。
もちろん、その先には、かの有名な「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり」という一文が頭にあったはずですが、一方で芭蕉は幾つになっても自身の芸道(俳諧)への執着心から自由になることができなかったとも歎き続けてもいたのです。
その意味で、14日にてんびん座から数えて「自分磨き」を意味する3番目のいて座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分が極めていきたい道行きに改めて歩調を合わせていきたいところです。
虚に居て実を行う
俳聖と称された芭蕉の教えとして伝わっているものの中に「虚に居て実を行ふべし」という言葉があります。これは俳句の根本を端的に示したもので、虚は事実に対する虚偽であり、現実に対する空想のこと。
ただ、おそらくこれは単に虚=嘘を重んずるという話ではなく、広く文芸というものが日常世俗とは全く異なった価値体系に属するものであることを肝に銘じよという話でしょう。
つまり、実=真実が虚を呼び起こし、虚はいつでも実に収斂して、絡み合った両者が目指すのは1つの真実であろうという‟虚実自在の境地”こそが俳句の真骨頂であると。このことはその反対を考えてみるとより分かりやすいかも知れません。すなわち、事実にとらわれながら、自由に想像の世界に遊べるかと言われれば、それは困難であるはず。
したがって、「虚にいて実をおこなう」とき、その虚は実へいたる架け橋であり、単なる事実を超えたより深い実をうがつための弾性に満ちたジャンプ台のようなものなのであり、先の「一筋の道」というのもそのための技術や下地のようなものだったのだと言えます。
その意味で今週のてんびん座もまた、みずからを虚に差し出しつつ、自分なりの“実”を思い描いていくべし。
てんびん座の今週のキーワード
単なる事実を超えたより深い実へ