てんびん座
戸惑い、それは哲学の始まり
たましいが裏返る
今週のてんびん座は、『裏山にかげろふを飼う女かな』(間村俊一)という句のごとし。あるいは、心中に陽炎がのぼっていくような星回り。
「かげろふ」と言っても、ここではうすみどり色の昆虫のことを指しているのではなくて、光と影が微妙なたゆたいをみせる大気中の光学的現象の方でしょう。
それをまるで生きもののように育てている女、というところにおもしろみがある訳です。「裏山」というのも、学校や施設など、なにか目印になるようかたちで日常の延長線上にある世界とは別の非日常の世界であったり、少なくとも何事もない日常とはどこで断絶してしまった場所であることを匂わせていて、それがより一層「かげろふを飼う女」の異様さ、妖しさを際立たせています。
おそらくは、この「女」とは作者のこころのなかに棲んでいる、求めても手の届きようのない存在であったり、ときにひどく自分の心をかき乱してくる存在であって、日ごろ懸命に何事もない“ふり”をしている作者が、無性にそちらへ裏返りそうになっているさまを、そのまま詠いあげているような節があります。
同様に、5月1日にてんびん座から数えて「心の裏側」を意味する8番目のおうし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、いつもと異なる動きをする自分のこころに、どこかで戸惑いを覚えていくことになるかも知れません。
佐々木淳子の『Who!』
自転車から転がり落ちて気を失っていた主人公の少年が気が付くと、周囲はシーンとしており、どこまで行っても誰もいなくなっていた。「知らないうちに人びとは何かにおびえて避難したんだろうか……」。一昼夜たって、ようやく1人の女性の人影を見つけ、声をかけると「お人違いでしょう」。「ひと違いだって!? こんな時に何を言ってるんですか。みんなどこへ行っちゃったんですか!? なぜ平然としているんだい、誰もいなくなっちまったのに」。そこでその女性が少年の背中側にまわってスイッチをカチリと入れる。すると、突如としてまたいつも通りの街並みが現われた。と、あらすじとしてはこれだけの話です。
要するに、この作品はふだん“現実”と呼んでいるものが映像に過ぎない可能性を示している訳ですが、ただもし仮に現実そのものに映像や夢や幻想という概念を適用できるとして、「それならあの女性は何者なのだ」という問いが残ります。
誰かひとりだけが現実の外部にいることなどありえるのか、そして、その人が映像ではない何かでありうるのか。だとすれば、映像とそうでないものを、別の仕方で定義する必要があるはずで、そうなれば「映像」という概念が今度こそ宙に浮いてくる。
こうして、次々に疑問や違和感が浮かんできては、それまで自明だった現実がずらされ、本来のまともな場所へと動かされていく。その意味で哲学というのは、精神がそうやって“元の場所”へと帰ろうとする運動のようなものなのだとも言えます。
掲句の「かげろふを飼う女」や、『Who!』で少年が見かけた女性の姿を追うようにして、今週のてんびん座もまたそんな運動へと身を投じてみるといいでしょう。
てんびん座の今週のキーワード
それならあの女性/男性は何者なのだ