てんびん座
孤独のためのレッスン
みずから選んだ孤独
今週のてんびん座は、ハンナ・アーレントの「一者のうちの二者」のごとし。あるいは、「孤独」を丁寧にやり直していこうとするような星回り。
アーレントは「孤独」と「孤立」の違いについて、『全体主義の起源』のなかで「独りぼっちの人間は他人に囲まれながら、彼らと接触することができず、あるいはまた彼らの敵意にさらされている。これに反して孤独な人間は独りきりであり、それゆえ「自分自身と一緒にいることができる」。人間は「自分自身と話す」能力を持っているからである」と述べています。
その意味で、現代社会はどこかで人を「独りぼっち」にしてしまう社会であって、それどころか、自分自身と向き合うことを避けるためなら何でもするようになっていくたくさんの人たちの虚しさによって回っているようなところがあるようにさえ感じます。
欲望の回転速度に振り切られないよう、みな必死にしがみついていく訳ですが、それはそれしか選択肢がないからと言うより、「自分自身と一緒にいる」方法が分からなかったり、その手応えを積み重ねていく機会にたまたま恵まれなかったからなのかも知れません。
その意味で、17日に自分自身の星座であるてんびん座で満月を迎えたところから始まっていく今週のあなたもまた、たぶん面倒で、扱いづらい自分のそばに改めてとどまり、「一緒にいる」時間を回復にしていくにはもってこいのタイミングと言えるでしょう。
氷を割るための一撃
プルーストと言えば、その晩年は外の音が聞こえないよう壁をコルク張りにした部屋に閉じこもって、『失われた時を求めて』の執筆だけに専念していたとされていますが、彼こそまさにひたすら「自分自身と話す」時間に没頭していたのだとも言えるかも知れません。
紅茶とマドレーヌ、石畳の道のイメージから、『失われた時を求めて』というとどうしても懐かしい追憶の日々を想う甘ったるいノスタルジー文学のイメージが先行しますが、死後に出版された未完成のエッセイ『コントレサントブーブ』では、みずからもまた深く関与している芸術という営みについて、次のように語られています。
ぼくたちが行うことは、生の源[原初の生]へ遡ることだ。現実というものの表面には、すぐに習慣と理屈[理知的推論]の氷が張ってしまうので、ぼくたちはけっしてなまの現実を見ることがない。だからぼくたちは、そうした氷を全力で打ち砕き、氷の溶けた海[現実]を再発見しようとするのだ
現にそれを生きているときは、そのあまりの間近さのため、また騒々しさと慣れのために、なまなましく感じとることができず、「氷が張って」いるかのように感じるという点では、現実も自分も同じであるはず。
その意味で、『失われた時を求めて』では徹底して「自分自身」こそが問題とされているのであり、プルーストにとって書くという営みは、自己否定、生否定のニヒリズム(氷)の向こうに広がるありうべき現実の肯定のために打たれた鑿(のみ)の一撃だったのではないでしょうか。願うことなら、今週のてんびん座もかくあるべし。
てんびん座の今週のキーワード
『失われた時を求めて』