てんびん座
運命の未知へ
無目的な旅のように
今週のてんびん座は、都市の名所図屏風のごとし。あるいは、見知らぬ人間や行き交う人びとの流動に思わず手を引かれ、歩みだしていくような星回り。
『江戸名所図屏風』のような近世の細密屛風には、広大な空間に無関連、無意味に、不必要なほど詳しく、大量の人や建物や服装や乗り物や食べ物、草木や楽器が描かれており、自然とそれを追う眼は歩くように逍遥し、都市の喧噪や雑踏をそのまま室内空間の中のインテリアにしてしまうようなところがあります。
たとえば、陰間(かげま)すなわち茶屋などで客引きをしていた若くきれいな男娼たちが舟に乗っている様子も描かれていますが、彼らがどこへ向かっているのか、そしてその後どんな人生をたどっていったのかといった想像をいったん展開し始めると、やがてその対岸で人形芝居をしている旅の傀儡(かいらい)や、仏像を見せて布施を乞う乞食坊主らにも飛び火していき、それをまた中世の頃から変わらず全国を遊行して回る芸能民たちが眺めていることに気付いて、彼らがどこからどんな思いでこの大都会にやって来たのだろうと、無目的な旅のように、波及的に広がっていくのです。
同様に、3月21日にてんびん座から数えて「広場の交友」を意味する7番目の星座で春分(太陽のおひつじ座入り)を迎えていくあなたもまた、無秩序にあつまりうごめく幻影に、不安や怖れを抱きつつもどこかで惹かれ、自身もまた連れ出されていくことでしょう。
ひとつの運命としての詩
僕が、はじめてランボオに、出くはしたのは、二十三歳の春であつた。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いてゐた、と書いてもよい。向うからやつて来た見知らぬ男が、いきんなり僕を叩きのめしたのである
これは小林秀雄による有名な「ランボオ論」(1947年)の書き出しですが、なぜランボーはそれだけの衝撃と魅力とを持ち得たのか。それは彼が作品だけでなく人間としても詩を生き切ったからでしょう。
19歳からのわずか3年で膨大な数の詩を書き上げた後、彼は詩を捨てて旅の商人となり、最後はアフリカの砂漠で生を終えたその鮮烈な生き様に、多くの人が詩の神髄を見たのだと思います。では、ランボー自身は詩やその使命についてどう考えていたのか。間接的ではありますが、ある手紙の中で彼は「詩人は、その時代に、万人の魂のうちで目覚めつつある未知なものの量を、明らかにすることになるでしょう」と述べています。
運命を見つめるとは、あるいはこういうことを言うのかも知れません。それは寝ているうちに起きるというより、やはり小林のようにそれなりの衝撃を伴って訪れるものであるはず。今週のてんびん座もまた、そうした訪れに対しみずから門戸を開いていくべし。
てんびん座の今週のキーワード
未知はいつだって既知を叩きのめす