てんびん座
一つの快楽
俳句は説明文ではないということ
今週のてんびん座は、「面体をつゝめど二月役者かな」(前田普羅)という句のごとし。あるいは、自身にユーモアとエネルギーを流し込んでいくような星回り。
「面体(めんてい)」とは顔かたちや顔つき、その表情のことで、歌沢や小唄などの近世の大衆的な三味線による歌曲などで喜んで使われた言葉。この場合は、二月の寒さが激しい頃に、一人の男が帽子を目深にかぶり、首巻を鼻の上から巻きつけて面体をつつみ隠していたにも関わらず、それでも役者ということが一見してわかったというのです。
とはいえ、これがもし「二月(きさらぎ)の面体つつむ役者かな」などとしたのだったら、調子も平凡で原句にあらわされたハッとした驚きは伝わらなかったはず。
「つつめど」という言い表し方の柔らかさと、「二月」と「役者」をあえてくっつけて「二月役者」という造語で硬質でキレのある表情を出すことで、うまくその対比を際立たせ、何よりも句全体の調子がよりドラマチックでユーモラスなものになっており、どこか三味線の音さえ聞こえてくるようです。
同様に、2月1日にてんびん座から数えて「楽しむこと」を意味する5番目のみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、どうせ楽しみごとをやるのなら、より調子をみなぎらせ、何より自分が楽しむことに貪欲になっていきたいところです。
快楽としての呼吸
現代人のほとんどは「過換気症」的な状態にあると言われています。これは過度なストレスで身体が興奮状態にあるときに息を吸い過ぎて苦しくなってしまうといういわゆる過呼吸状態に近く、ひどい場合には手足がしびれたり、意識を失ってしまう人もいます。
気分的には何かに追われている、慌てている感じで、つねに何かをしていなければならないという強迫的な焦りや不安やイライラを抱えており、何か特別な問題に直面していなくても、身体の状態そのものが不安やイライラに陥りやすい状態にあり、はっきり自覚できればまだいい方で、多くの人ははっきりした自覚もなくそうした状態にあります。
これは近代以降の科学的合理主義やその成果としてのテクノロジーが、精神と身体をつなぐ半自覚的な営みである呼吸を完全に抑圧・忘却することによって広まってきたことへの反動でもあり、特に明治以降「科学教」とさえ言えるほどにそうした欧米の姿勢を後追いで取り込んできた日本において、決定的かつ致命的な身体の崩壊を招いてしまった訳です。
ただ一方で、西洋的な合理主義を乗り越えようと、哲学の立場から全身全霊で取り組んだ西田幾多郎による、「かかる世に何を以て楽しみとして生きるか」という自問に対する「呼吸するも一つの快楽なり」という答えは、いまのてんびん座にとって十二分に立ち戻る価値のある言葉として感じられてくるでしょう。
てんびん座の今週のキーワード
息を吸い過ぎると苦しい。だから、息をゆっくり吐くこと。