てんびん座
なにかを繊細に紡ぐということ
小路に流れた光
今週のてんびん座は、平出隆の『猫の客』の一節のごとし。あるいは、慌ただしい日常にふわりと繊細さと柔らかさが取り戻されていくような星回り。
ある日ひそかに稲妻小路と呼ばれる界隈に突然あらわれ、はじめ隣家の飼い猫となった後、庭を通ってわが家を訪れるようになった仔猫チビについて、作者の平出隆は次のように描き出しています。
小さな仄白い影が見えた。そこで窓を開け、冬の暁に連れられてきた来客を迎え入れると、家の気配はひといきに蘇った。元日にはそれが初礼者(はつらいじゃ)となった。年賀によその家々を廻り歩く者を礼者という。めずらしくもこの礼者は、窓から入ってきてしかもひとことの祝詞も述べなかったが、きちんと両手をそろえる挨拶は知っているようだった。
チビは静かに境をくずし、作者はその在りし日の思い出を繊細なエクリチュールで紡いでみせた訳ですが、そうして小路に流れた光に、どこか心が洗われたような気分になった読者も少なくないはずです。
同様に、12月29日に拡大と発展の星である木星が、てんびん座から数えて「秩序の回復」を意味する6番目のうお座へと移っていく今週のあなたもまた、心に堆積した塵芥をそっと洗い流していくだけの機会をきちんと作っていくべし。
「うろうろ」を極める
猫と違って人間というのはとかく明確な目的を持たずにうろうろとあちこちをほっつき歩く生き物ですが、この「うろうろ」の「うろ」とは、本来「有漏」という字をあてる仏教用語なのだそうです。
「漏」は穢れや煩悩の意で、あれかこれかと悩み惑い、決断しかねて迷っていく中で、時に人は自分がどこへ向かっているか、またそこへの道のりさえも忘れてしまう。これが「有漏」なのです。ただし、それが行き尽くところまで行ききって、迷いがなくなるまでうろうろしきって極めてしまうと、今度は反対に「無漏(むろ)」となり、人は安心して旅路を先に進め、目的地にたどり着くことができる。
つまり、気が済むまで「うろうろ」できない人はいつまで経っても目的地に落ち着くことができないのだとも言えます。人間はしばしばありのままの現実をそのまま受け入れることに耐え切れず、何らかのストーリーをつけようとしますが、それはしばしば自分に都合よすぎる話になりがちで、そこにはエクリチュールの繊細さというものはありません。
きっと、仔猫チビの来訪によって心が洗われたような気がしたのも、「無漏」的存在との接触を通じて、そうした偏りがそっとただされたからなのかも知れません。今のてんびん座もまた、まだ「その時」が当分先であるならば、まずは悩みが尽きるまで、ひたすらにうろつき回ってみるといいでしょう。
てんびん座の今週のキーワード
しなやかな流動体としての猫