てんびん座
早くわからない方がいい
こちらは6月14日週の占いです。6月21日週の占いは諸事情により公開を遅らせていただきます。申し訳ございません。
あれやこれやと
今週のてんびん座は、「ががんぼや忘れ物めく父の杖」(屋内修一)という句のごとし。あるいは、生産的ではないが大切な時間を過ごしていくような星回り。
誰も住む人のいなくなった実家に、ポツンと「父の杖」が残されているのを見て、思わず詠んだ一句。
作者が故郷の松山で父母と暮らしたのは18歳までだったのだと言います。父は公務員と定年退職後、老後の楽しみとして俳句をたしなみ、母もそれを真似て句を作ったのだとか。
長男であるにも関わらず、離れて暮らしたせめてもの償いにと、二人の句帳を整理して、遺句集も編んだりもしたものの、まだ引っかかるものがあったのでしょう。
「ががんぼ」の脚はすぐ折れる。父もまた、脚を残してどこか遠くに飛んでいったのか、唐突に足をもがれるように死へと引き込まれたのか。
残された者として、あれやこれやと考える時間は生産的かと言われれば、まったくそうではないけれど、人としての大切なものを貫いていくには、どうしたってそういう時間が必要なのではないでしょうか。
18日にてんびん座から数えて「空白の時間」を意味する12番目のおとめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、不意にこみあげてくるものを流すことなく大切にしていきたいところです。
「われ思う、ゆえにわれあり」
皆どこかで一度は聞いたことがあるのではないかというくらい有名なこの一節ですが、一方で、この言葉ほど多くの人に「分かったつもり」になられている言葉もないでしょう。
デカルトはこの世界の普遍的真理を認識していく上での出発点として、あえてすべてを疑いつくすという「方法的懐疑」を掲げ、その到達点として冒頭の一節に至った訳ですが、その過程をまとめた『方法序説』を書くまでに、彼はじつに41年の人生を生きました。
もちろん、着想自体はもっとずっと若い頃に既にあった訳ですが、それを自分で検証するために十分な期間をかけて世の中を遍歴してまわっていったのです。本の中にも、次のような箇所があります。
ある種の精神の持ち主は、他人が二十年もかかって考えたことすべてを、二つ三つのことばを聞くだけで、一日で分かると思い込み、しかも頭がよく機敏であればあるほど誤りやすく、真理をとらえる力も劣っている。
とにかく分かりやすく、早く、一度で分かることに価値を与える現代人にとっては、なかなか耳の痛い指摘ですが、特に物事を「深く知る」ことが求められている今のてんびん座にとっては、こうしたデカルトの姿勢は大いに指針となっていくはずです。
てんびん座の今週のキーワード
「早くわかる」ことよりも「長く考える」こと