てんびん座
黙ってそこに佇むべし
言葉は深い水
今週のてんびん座は、「涸れ川(ワディ)」の下の水のごとし。あるいは、出会いの場所としての<声>を体験していくような星回り。
お通夜の席で死んだ人の悪口を言ってはいけない、とよく言われますが、これは五感のうち聴覚だけは最後まで残るから、なのだそうです。だから、臨終の床にあるときには、なおのこと声をかけてやることが大切になり、たとえ意識は失われようと、声の波長だけは伝わるということもあるのかも知れません。
日常においても、他者の出す音や声を聞くことで、私たちは孤独を癒している訳ですが、声というものは聞こうとしてはじめて聞こえてくるものでもあるのではないでしょうか。昔、ユダヤの詩人はこう歌いました。
「人の口の言葉は深い水のようだ、
知恵の泉は、わいて流れる川である。」(箴言18章4)
砂漠地帯には日本のように年間を通して流れいてる川はないようですが、雨季の一時的な豪雨のときのみに水が流れる「涸れ川(ワディ)」というものがあり、詩人は言葉はそんな涸れ川の下にある水のようなものだと言っているのです。
心があるならその水は、湧き出て流れる川となる。29日に自分自身の星座であるてんびん座で満月を迎えていく今週のあなた自身もまた、そんな風にひとつの川となっていくのを実感していくことができるはず。
無言の前衛
その人のなかで新たな価値だったり、新しい信仰が生まれつつある時というのは、いくら丁寧に言葉を紡ぐことを心がけても、かえってその乱暴さばかりかが目についてしまうものです。
なぜなら、何事かを言葉に託すごとに、その言葉に裏切られるから。それを繰り返すうちに、いつの間にか沈黙だけが残っていくのです。
結果的に、自分の中で新しく生まれてきた何かは黙って示されることになる。というより、「黙って置かれる」他ないのです。その置かれたものに、相手が気付いて拾ってくれればいいし、気付いてくれなければそれはそれで仕方がない。こちらもそのまま黙っているしかないのであって、本来の出逢いというのはそういうことであったはず。
こうして書いてみると、やはりそこで言葉を尽くして説明し、相手を説得するというのは、今週のてんびん座からは最も遠い態度であるように思われます。
これまでとは少し違う形で、自分なりの愛を表現してみること。そして、そこではできる限り涸れ川のような「引き算の愛」を意識してみるといいでしょう。
今週のキーワード
みずからを知恵の泉にしていくこと