てんびん座
エクササイズ日和
運動としての哲学
今週のてんびん座は、佐々木淳子の「Who!」という漫画のごとし。あるいは、まともな場所へ帰ろうとする運動を試みていくような星回り。
自転車から転がり落ちて気を失っていた主人公の少年が気が付くと、周囲はシーンとしており、どこまで行っても誰もいなくなっていた。「知らないうちに人びとは何かにおびえて避難したんだろうか…」。一昼夜たって、ようやく一人の女性の人影を見つけ、声をかけると「お人違いでしょう」。「ひと違いだって!?こんな時に何を言ってるんですか。みんなどこへ行っちゃったんですか!?なぜ平然としているんだい、誰もいなくなっちまったのに」。そこでその女性が少年の背中側にまわってスイッチをカチリと入れる。すると、突如としてまたいつも通りの街並みが現われた。…と、これだけの話です。
要するに、この作品はふだん“現実”と呼んでいるものが映像に過ぎない可能性を示している訳ですが、ただもし仮に現実そのものに映像や夢や幻想という概念を適用できるとして、「それならあの女性は何者なのだ」という問いが残ります。
誰かひとりだけが現実の外部にいることなどありえるのか、そして、その人が映像ではない何かでありうるのか。だとすれば、映像とそうでないものを、別の仕方で定義する必要があるはずで、そうなれば「映像」という概念が今度こそ宙に浮くのではないか。
こうして、次々に疑問や違和感が浮かんできては、それまで自明だった現実がずらされ、本来のまともな場所へと動かされていく。おそらく哲学というのは、精神がそうやって元の場所へと帰ろうとする運動実践なのではないでしょうか。
その意味で、6日に自分自身の星座であるてんびん座で下弦の月を迎えていく今週は、あなたにとって哲学的運動のきっかけを得ていくタイミングとなっていくかも知れません。
思いつきはどこに属すか?
天才の仕事や、心を撃ち抜かれるような作品の中に、かつて自分に去来したアイデアの影を何度も見たり、憧れの人物に自分と似た過去や背景があることを何度も見聞きしていくと、たとえ世界中から反論されても、最終的には自分の内側から生じた考えに従うべきだということを次第に痛感していきます。
そしてその一方で、頭の中で誰かがこう言うのです。「その先にあるのは、地獄に決まってる!」と。けれど、例えそうだとしても、何かを「思いつく」ということは、それ自体が自分の運命だったのだという可能性は否定しきれないでしょう。
さらに言えば、「思いつき」というのは本質的に自分に属すのではなく、天からの賜物であり、あなたのもとに贈られた贈与に他ならず、同時にそれを他の誰かに渡すのか、ゴミとして捨ててしまうのかを問われているのかも知れません。
今週のてんびん座は改めて、自分の元に訪れた思いつきを見つめ直していくことになるでしょう。
今週のキーワード
行動原理としての贈与